阿部定もいた昭和の花街!西武新宿線「新井薬師前」の商店街を歩く

中野区

先日に引き続いて街ネタレポートをお届けするのは西武新宿線「新井薬師前」。中野駅にも比較的近いところにあり、家賃が高くて中野駅最寄りに住みたくても住めない人達の選択肢となっている下位互換的存在と何度も言っておりますが未だ「昭和の東京」が生き残る素朴な下町です。

新井薬師前ゆかりの有名人と言えば芸人の江頭2:50だけではない。かつてこの新井薬師前には昭和の時代に栄えた花街があり、あのイチモツちょん切り殺人を引き起こした戦前の大事件の渦中にあった「阿部定」ゆかりの地でもある。まずは西武新宿線新井薬師前駅からイマイチパッとしない商店街を抜けて中野駅方面に向けてウロウロしてみることにしましょう。

新井薬師参道に渋い焼肉屋が妙に多い件

新井薬師前駅周辺一帯の商店街をひっくるめて「新井薬師駅商店会」と呼ぶのだそうだが、特に駅名の由来ともなっている新井薬師梅照院や中野駅方面に連なる通り沿いには歩道部分にアーケードも設けられ、商店街らしい佇まいとなっているものの、やはりどこかパッとしないのである。

パチンコ屋と焼肉屋が二軒仲良く連なっているあたりお約束の展開ですが、ガチな昭和の店構えがそそられる「焼肉竜苑」。商店街のホームページを見ると「創業50年」云々書いているのでかなりの老舗であるには違いない。

「焼肉竜苑」の玄関横の、本来なら食品サンプルを並べてお品書きをアピールするはずのガラスケースに何故かエヴァンゲリオン等のアニメフィギュアを多数置いているという謎っぷりが余計にそそられる。

店主の趣味なのか、それとも店主のご子息の趣味なのか定かではないが、とにかく西武新宿線沿線にある店は個人プレイ炸裂気味で「ユルい」のが特徴的である。

そんな商店街を抜けると歩道部分のアーケードが途切れ、その先も「薬師門前通り町栄会」という地味な商店街が続いている。

あ、また「中野苑」という渋い佇まいの焼肉屋がありますね。ここも先程の竜苑と同じくらい老舗っぽい佇まいなんですが、これだけ老舗焼肉店が地味に何軒も生き残っている事と昔この界隈が花街だった事の因果関係って全く無い訳ではないように思うんですよね。在日コリアンの苗字に「新井」姓が多い事と新井薬師界隈とは多分関係ないと思いますけども。

あともう一つ「やきとり金亀」というこんな渋すぎる焼き鳥屋があったんですが、数年前に廃業して無くなってしまいました。もつ煮にレバ刺しにホッピーという浅草のあそこのようなノリの佇まいでしたけれども、警察学校跡に大学キャンパスが誘致されチャラい学生街となりつつある中野駅周辺とは異なり新井薬師前はとにかく昭和のままのゲロ渋な街なんです。

薬師あいロード商店街を抜ければ中野駅に行けます

そんな「金亀」が商店街の入口に建っていたこちら「薬師あいロード」、道なりに行けば早稲田通りに出てそのまま中野駅近くの中野ブロードウェイの入口がある、という立地というだけあって、むしろ新井薬師前駅周辺よりもこっちの方が商店街として栄えている。

しかしこちら側にも昭和丸出しな佇まいの金物屋だの履物屋だのが生き残っている。中野駅側から新井薬師への参道として栄えた商店街という事もあるので昔からの商店も多い一方でチェーン店系の店舗はほぼ見当たらない。

あのドンキホーテの前身?「泥棒市場」の謎

でも、この薬師あいロード商店街には「泥棒市場」と書かれた何やら物騒なネーミングの怪しげな店が現存している。どう見てもリサイクルショップか骨董品屋のようにしか見えない店内だが、古びたテント看板の文言を見る限りはディスカウントショップのそれである。

実は「泥棒市場」というディスカウントショップ、今や日本全国はおろか海外にまで展開する一大DQN系ディスカウントストア大手「ドンキホーテ」の前身となる店舗として、かつて西荻窪駅近くの杉並区上荻四丁目に存在していた(跡地はラーメン屋一圓)。

当地にある泥棒市場はその系列店の成れの果てではなかろうか、という推測しか出来ないのだが、それにしてもこのお下品過ぎる看板、「日本一安い!!皆様の(ハート)泥棒」という謳い文句も笑いを誘う。あのDQNの誘蛾灯ドンキホーテのDNAの源流であるかも知れないという見方をすれば、深い因縁を感じずにはいられない。

新井薬師梅照院と門前の花街「新井三業地」

中野、新井薬師前、二つの駅から連なるそれぞれの商店街を抜けた先に中野区屈指の古刹として西武新宿線の駅名にもなっている新井薬師梅照院に至る。新井薬師前駅から500メートル近くもあるのであんまり「前」って感じでも無かったですね。新井薬師前とよく間違えられる足立区の西新井大師とは直接関係はないそうだが同じ真言宗豊山派に属する寺院で、寺の境内に井戸を掘った事から新井という地名が付いた所まで共通しているので、確かに紛らわしい。

その新井薬師梅照院門前から南方向に伸びる枝垂れ柳が立ち並ぶ「薬師柳通り」と呼ばれる道…ここにかつて「新井三業地」という花街があったというのだが、今では殆どがマンションやら何やらに建て替わって面影も見当たらない上に、大塚あたりのように芸妓組合も残っていない。

薬師あいロード商店街と柳通りの間にある路地に入る。このあたりがかつての花街で、阿部定が女中として働いていた料理屋「吉田屋」があったのもこの辺という事になる。阿部定がちょん切ったイチモツはこちら吉田屋の店主、石田吉蔵(当時42歳)のものでした。阿部定事件なんて昭和11(1936)年という途方もない過去の事件なのに未だ生々しく語られ続けるんだから凄いよね。


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