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下町の首都「立石」 (4) 立石様と勝栄様

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葛飾区のド下町「立石」の街中を歩いてると共産党のポスターがやたら貼ってあるのに気が付くのだが、それ以上に目立つのは自民党大物代議士のこのお方のお名前。
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平沢勝栄大先生(笑)の事務所がここ立石にあるのだ。


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立石駅に程近いマンションの1階に勝栄先生の事務所があるわけだが本当にどうでもいいネタなのでさっさと次行きましょう、次w
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立石駅から奥戸街道を東へ歩くと中川に掛かる本奥戸橋の前に出る。

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この界隈は「中川の七曲」と呼ばれており川が急激にヘアピンカーブを描いているのが地図を見ると分かっていただけるかと思う。昔から水害に悩まされ続けてきた歴史を持つのだ。
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中川には頑丈な堤防が築かれ水害対策が行われている。よく見ると堤防の下にどこから入ってきたのか分からない釣り人が座っているのが見える。こんな場所で一体何が釣れるのだろうか。
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その中川の堤防を東へ向かって歩いていくと、立石の地名の由来ともなった「立石様」とやらが置かれている場所があるというので、とても気になった私はわざわざ住宅街の中を網の目のように歩いて見に来たのだが…
そこはただの児童公園に、小さな鳥居と「立石祠」と書かれた石碑が置かれていただけの奇妙な空間だった。
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立石様」は公園の奥の、シーソーの横あたりにひときわ小さな鳥居に守られるように鎮座してある。
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こう見えても葛飾区指定史跡の「立石」。
古墳の一種なのか、それとも巨石信仰の一種なのか、実は何も分かっていないそうだ。
つまり立石とはいわば謎の石である。
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鳥居から先にはまるでギリシャ神殿のような形の囲いが立石様を取り囲んでおり、ますますミステリアスな様相を呈している。
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その囲いの中央にあるはずの「立石様」はほとんど地表から隠れて埋まってしまっている状況だ。
「立石様」は歴史とともに巨石信仰の一つとして地域住民に守られ続けてはいたが、お守りとして石を欠いて持っていく者がいたり、戦後は地盤沈下で周囲の土地が下がった事などで、江戸時代には高さ60センチあったものが今ではこの有様。
全然立ってません。
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申し訳程度に祠が立っている程度で、場所もただの児童公園となっているし、立石の地名の由来を知りたくてここまでやってくる私のような人間は相当奇特のようだ。
世界各地に石を信仰する文化はあるが、それが日本においては「立石様」だ。
ちなみに葛飾区立石以外にも信仰を集める沢山の「立石」があるそうだ。
関連リンク
石 – 石と信仰(wikipedia)

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東京DEEP案内の管理人です。2008年の開設以来、首都圏一都三県の街歩き情報を淡々と記録し続けております。いわゆる日陰者的物件、観光地にもならない場所、ちょっとアレな地域を見物・考察する事を趣味としております。2017年6月15日、単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を発売。
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