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ロータリーのある激渋な街並み!軍需工場住宅地として戦時中に開発された昭島市「八清通り」を歩く

東京都心から中央線で立川まで行くと、そこから青梅方面に「青梅線」が分岐している。新宿駅から中央特快なり青梅特快でここまで来ても最低30分近く掛かるのに、まだこの先にも昭島・福生・あきる野といった沢山の街が広がっている訳だが、かつて立川にあった米軍基地「キャンプ・フィンカム」だったり、現存する極東アジア最大の米空軍基地である横田基地だったり、ともかく今でも「軍都」としての色彩が濃厚な地域である事には違いない。

昭島市 東中神

そんな中で、立川から青梅線に乗って二駅目にある昭島市の「東中神駅」近くに、戦時中の特殊事情のもとに作られたという、ロータリーと放射状道路が広がる特徴的な大規模住宅地が現存している。グーグルマップを見ていて、その住宅地が以前から気になっていたので、現地まで見に来たのである。

東中野ならみんな知ってるけど、東中神なんて知りませんでしたよね…新宿から青梅特快に乗れたら最短30分くらいで着く街で、平屋建ての簡素な木造駅舎は昭和17(1942)年の開業当時のままのもの。ちなみに駅北東部には国営昭和記念公園と、最後まで手付かずだった米軍立川基地の大煙突が残る一角が見える。

昭島市 東中神

東中神駅前を降り立つと目の前にそびえる古びた高層マンション群と、そこに付随する商店街「くじらロード」がやけにレトロで味わい深く気になる訳だが、こちらはこちらでまた別の機会にレポートする。問題の住宅地はここから少し歩いたところにある。

昭島市 東中神

東中神駅南側を東西に走る都道153号線を挟んだ南側一帯に向かう。途中の昭和中学校交差点の上に架かる歩道橋から眺めると南西方向に斜めに走っている道路が見えるが、そこに入っていくと…

昭島市 東中神

この通り、やけに末枯れた感じの街並みが現れる。「みどり会」というのはこの通り沿いの商店会の名称なのかと思われるが、どちらかというと「商店街だった」と過去形を付けたくなるような佇まい。

昭島市 東中神

そして道なりに進んでいくと、街の中心らしきロータリーに出られるのだ。昭島市玉川町三丁目に属するこの一帯の中心で、この場所から周囲を見回せばここから放射状に道路が伸びているのがハッキリ分かる。

昭島市 東中神

ロータリーの中心部には街灯と噴水があり周囲にツツジが植えられている。住宅地のど真ん中にあり、用事がなければわざわざ通るような場所ではないので交通量も少なく、むしろ交差点上に路駐している車までいる。

昭島市 東中神

日本だとこうした場所は「ロータリー」と呼ぶものだが、ヨーロッパではしょっちゅう見かける「ラウンドアバウト」と呼ばれる信号機のない一方通行式円形交差点。日本じゃなかなかお目に掛かれないが最近地方都市にはあちこちに出来始めているようですが、昭島市のこの場所では戦前からあった訳でこの通り標識もやけに古い。

グーグルマップでこの付近の航空写真を見るとこの通りである。

軍需工場の2万人の従業員が暮らす住宅地が開発された

昭島市 東中神

そんなロータリーの片隅に置かれた記念碑の碑文を読めば、この土地がかつてどういう経緯で開発されたものか一発で把握できる。「八清の由来」と書かれている通り、この一帯に「八清」という地名が付けられているのが分かる。

昭島市 東中神

その碑文を読むと、この地域が戦時中に建てられた軍需工場の従業員住宅として開発されたものだという事が理解出来よう。

昭和13(1938)年に名古屋造兵廠立川製作所(後の陸軍航空工廠)が設置され、名古屋から多くの従業員が当地に移り住み、従業員数2万人を超えた巨大軍需工場を支える為に早急な住宅整備を行う必要性に駆られたが、その工事を請け負ったのが当時23歳だった八日市屋清太郎という人物。そこから姓名の一文字ずつを取り「八清住宅」の名を付けたのである。

昭島市 東中神

当時一面の桑畑だった約三万坪もの土地を買収の上、突貫工事で開発された住宅地は昭和16(1941)年10月までに完成。約五百戸の住宅と集会所、市場、映画館、浴場、保育園、神社、公園といった施設が作られた、と碑文にある。

なお、近くにある東中神駅が開業したのがこの翌年の昭和17(1942)年7月1日。そう言えば両隣の駅間がやけに短いのが気になっていたが、この住宅地の住民の利便性向上の為に置かれた駅だったのかね。

昭島市 東中神

ロータリーの西側に南北に貫く「八清大通り」と、その途中にある八清通り交差点に当初の地名の名残りが見られる。

この住宅地の開発を手掛けた「八日市屋清太郎」は初代と二代の人物がいるが、そのうち初代は早くに急逝した為、弱冠20歳で稼業を引き継いだ二代目が請け負っている。建築請負業と言っても世界各地で開催されていた博覧会の仮設建築を得意としていた「ランカイ屋」として有名な人物だったそうで、本来なら専門外であった上にそんな若い二代目に住宅地の開発を丸投げしていた程、当時の陸軍は焦っていたのだ。

昭島市 東中神

戦後、八清住宅の敷地は住民に払い下げられ、民間の住宅地と市場となりその後も昭島市内屈指の商店街として栄えていく事になったという。わざわざ青梅線に乗って拝島や福生のあたりから買い物客が来る程の場所だったというが、今となっては悲壮な程にボロボロになった市場やアパートがちらほら見かけられる。

昭島市 東中神

戦前の八清住宅の航空写真は国土地理院のサイトから見られるが、その当時と現在とでは街の中心にあるロータリーと、その傍らにある郵便局が変わらず残っているだけだ。北多摩郡昭和町だった当地も昭和29(1954)年に隣の拝島村と合併の上「昭島市」として市制施行。昭和町の「昭」と拝島村の「島」で昭島。

昭島市 東中神

元々は名古屋造兵廠に居た従業員のうち、航空発動機関係の製造部門が立川に移ってきたのだが、つまりこの界隈の住人の中には先祖が名古屋や東海地方だという人々も多いのだろう。その他、京都宇治のウトロ地区の例を持ち出すまでもなく軍需工場の街にはありがちだが、在日コリアンも非常に多いのが昭島という街。しかしこの建物、戦後の匂いがプンプン漂いますね…

昭島市 東中神

戦後しばらくは栄えていたらしい「八清」もその発展度合いは高度経済成長期だった1970年前後でピタッと止まっている印象がある。おかげ様で我々の好物そうな激渋レトロぶった大衆食堂が何軒か生き残っている。そそられる佇まいの「大衆食堂柳月」。カツ丼に肉豆腐、その他諸々のおかずをアテに酒でも呑むのが似合いそう。

昭島市 東中神

もう一軒ある中華料理「京一食堂」が入居する長屋アパートも相当に味わい深い。戦後の昭島市は工業団地を誘致した事もあり職住近接型のブルーカラーの街として独自の発展を遂げている。つまり知る人ぞ知るオツなレトロ食堂の宝庫なのであるが、市内に低所得者層が住む団地が非常に多くあり財政状況は微妙らしいです。

昭島市 東中神

またここにも廃墟と化した大衆割烹・やきとり「田吾作」の店舗が哀愁漂わせておりました。

背後に見える銭湯の煙突もまた渋い。かつての昭和町から取られた「昭和湯」という屋号。昭島には富士見湯、三光湯とこの昭和湯の三軒の銭湯が生き残っている。離島部を除く東京都で唯一「東京都水道局」のお世話になっていない程に潤沢な地下水が市内に供給されていて水道料金も全国屈指のお安さが自慢の昭島市(→詳細)ならではの地下水を使った銭湯が楽しめるようです。

軍需工場の跡地は現在…

立川市 立川

ちなみに立川陸軍航空工廠があったのは「国営昭和記念公園」の西側一帯あたりだ。米軍から返還された後に長らく廃墟のまま放置されていて、陸軍航空工廠の時代からのものである上記写真の三本の煙突が象徴的だった場所だが、再開発事業により国際法務総合センター(八王子の少年鑑別所、医療刑務所、府中の関東医療少年院などがごっそり移転するらしい!)の建設にあたって2014年中に解体されていて、この一帯は住居表示に伴い「昭島市もくせいの杜」という町名が2016年4月から付いている。この三本煙突を見たさに以前国営昭和記念公園の中を歩き回った事がありましたが、もうこの煙突は見られません。


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東京DEEP案内の管理人です。2008年の開設以来、首都圏一都三県の街歩き情報を淡々と記録し続けております。いわゆる日陰者的物件、観光地にもならない場所、ちょっとアレな地域を見物・考察する事を趣味としております。2017年6月15日、単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を発売。
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