東武・京成の曳舟駅を降りると京島という地区がある。
とりわけ目ぼしい観光施設もない、古い下町でしかないという印象でこのエリアを素通りしているだけではもったいない。
ほぼ半世紀ほったらかされた化石のような住宅地が普通に広がっているのだ。この貴重な街並みを是非一度じっくり見てもらいたい。
曳舟駅を降りたら駅前の通りを南側へ、道なりに進んでいこう。
やけにカーブしまくってる奇妙な街路が気になるはずだ。
曳舟駅から明治通りとほぼ平行して南側を走るこのカーブだらけの道路、先ほど訪れた「キラキラ橘商店街」を横切って、やがて明治通りと合流する。
京島界隈の道や家々がどこか整然としていないのは、実は戦災を免れて戦前そのままの街路が残っているからなのだ。
路地裏に入り込んだ瞬間、そこに現れるのは作り物でもなんでもない「昭和30年代」。
いくつもの同じ形の木造平屋建て住宅が並んでいるが外壁は青いトタンの波板が軒並み張られている。
いまどきこんな民家もそうそう見かけないぞ、というようなレベルのブルートタンハウスが当たり前のようにそこらじゅうに並んでいるのが京島の住宅地なのだ。
次に大きな地震が来たら間違いなくアウトだろうがそんな野暮な事を言うもんじゃない。トタンハウスの主の多くが人生の大半を過ごしてきたであろう。ある意味人間の匂いが最も染み付いた住居である。
しかし、幸福実現党のポスターが8つ並んで貼られているのには参りましたw
駅に近い場所はマンションの開発が進んでいるが、少し入り込んだら圧倒的に木造平屋建てのオンボロ民家が優勢である。少しだけ出っ張っているのは2階部分?
一方で、住宅以外にあるのは個人営業の町工場ばかりだ。それも2階が住居になっているような形態がデフォルト。
住宅が密集しながらも変わらぬ営みが続けられている、いわば「都会の田舎」である。
オンボロ住宅の嵐に萌え尽きてしまうのはまだ早い。墨田区のDEEPゾーンはさらに続くのだ。残るはこの先に続く「八広・東墨田」エリアである。