3月というと卒業式のシーズンでもあり別れの季節だとも申しますようですが、年度末のこの時期に閉鎖してしまう施設というのも中にはある訳で、それぞれに慣れ親しんだ場所や人々との別れを惜しむ声が出てくるものでもある。で、今月末に閉鎖が決まっているというのが千葉県船橋市にある「船橋オートレース場」。
全国6ヶ所にあるオートレース場の一つで、戦後すぐの昭和25(1950)年から開場している全国初のレース場として知られる場所だが、来場者減少による売上減が深刻化しており施設の改修費用が賄えない事から2016年3月末での廃止が決まっている。無くなる前に訪問しようと思い現地に来てみた訳だが…
船橋オートレース場があるのは船橋市の湾岸地域、JR京葉線南船橋駅付近である。かつては船橋ヘルスセンターだった広大な敷地がららぽーとに変わり、屋内スキー場がIKEAに変わり、そしてオートレース場の周辺には高層マンションが立ち並びリア充ファミリーが住まうお買物タウンに変貌してしまった。
オートレース場敷地内にある競輪場外車券場「サテライト船橋」の壁に大きく書かれた「オートレース発祥の地ふなばし」の文字が誇らしそうですが、今月いっぱいでその「発祥の地」が消えて無くなる事になるのだ。残念ですね…
オートレース場へはJR南船橋駅、京成船橋競馬場駅前から無料の送迎バスが運行しているが30分間隔と使い勝手が悪い。同じ首都圏にある川口オートレース場の送迎バスが西川口駅から5分間隔(レース開催日)で出ているのと比べると客足は鈍く、確かに繁盛しているとは言い難い。
オートレース場内に入ると約3万5000坪の広大な敷地面積に競走路をぐるりと取り囲む観客席がびっしり。収容人数は2万人を超えるが、そのうちの多くの座席は遊ばせたまま、誰も座る事がない。
入場者数は最盛期だった1992年には約114万人居たものが2013年には約15万4千人と20年間で86%も落ち込んでいる。主催者の千葉県及び船橋市は赤字運営に苦しみ、2006年からは施設管理を民間委託している。
肝心の客足はレース開催中でもこの通り。競馬や競艇といった他の公営競技と比べるとレース場やファン層も限られるオートレースの運営がいかに厳しいか見た目にもお分かり頂けるだろうか。まあ、川口の方が規模も大きいしずっと繁盛しているので今後はそちらが中心となるのだろうな。
船橋オートレース場は昭和25(1950)年から続く国内初のオートレース場だが、当初は近くの船橋競馬場に隣接して営業していた。昭和40(1965)年に船橋ヘルスセンターの経営会社の手で現在地に前身となるサーキット場「船橋サーキット」が建設され、三重県の鈴鹿サーキットに続く国内二番目の本格レーシングコースとして開かれたが経営難の為に開場からたったの二年で閉鎖、そこにかねてから騒音問題で移転を迫られていたオートレース場が昭和43(1968)年に当地に移り現在に至る、という経緯だ。
どれだけ寂れようとも固定客となる根強いファンの姿がある限りは営業を続けたいのが人情というものだが、2014年8月の時点で千葉県及び船橋市によって廃止方針が打ち出されている。オートレースの選手会を中心に存続を求める署名活動も繰り広げられて、12万人分の署名が集まったらしいが、それでも廃止決定が覆る事は無かった。
かつてはギャンブラーの親父軍団で埋め尽くされていたであろう、延々と連なる投票所の窓口の多くも今では使われていない。このまま閉鎖の日まで使われる機会はないのだろう。なんとも侘びしいものである。
そんなオートレース場を見下ろすように立ち並ぶ真新しい高層マンション群が威圧感を放っている。元々この地域にはオートレース場が整備されたのと同時期に建てられた若松団地という古い団地があるが、その団地とオートレース場の間の土地にわざわざ騒音問題を承知でぶっ建てた分譲マンションという事になる。
それぞれ「ワンダーベイシティ SAZAN」に「グランドホライゾン・トーキョーベイ」という間の抜けたネーミングが付いた分譲マンション。2つ合わせて約1900戸の大所帯である。ここの住民一同この度のオートレース場の廃止を一番喜んでいるだろう。IKEAやららぽーとが近くにあるというだけで土地の事を調べもせず喜んで引っ越してきて後から騒音がどうこうブーブー文句垂れてる住民も中にはいるんだろうな。
川口オートレース場ほどの充実ぶりではないにせよ、船橋オートレース場内にもドカチンっぷりMAXな飯を食わせてくれる売店があれこれ営業していて早速小腹も空いてきたので食べてみる事にしましょうね。特にギャンブラー親父が店の前に群がっている「東西売店」。ラーメン、焼きそば、フランクフルトにお好み焼、フライ各種とコレステロール高めなお品書きがびっしり並んでますが…
ここは一つ東西売店名物の「あんかけ焼きそば」(380円)を食ってしまいましょう。ただでさえジャンク感溢れるソース焼きそばにカレー風味でどこか酸味のあるドロっとした餡が掛かったどう見ても身体に悪そうな一品。付け合わせにゲソ天(100円)も頂きました。これにビールか酎ハイでもあれば完璧ですね。
箸であんかけの中から焼きそばの麺を持ち上げるとこんな感じ。このチープさこそ安定のギャンブル飯である。ちなみに川口はレース終盤頃に惣菜値下げ合戦が繰り広げられ貧乏臭さに拍車が掛かるが、船橋は客数が少ない為かそういうサービスはやっていない模様。
各屋台料理コーナー前のテーブル席は真剣勝負なギャンブル親父軍団の溜まり場となっている。オートレースの出走表とにらめっこをする親父も居れば酔い潰れて爆睡している親父もおり十人十色。しかし子供連れはともかく乳飲み子抱いてこんな場所にやってくる親もいたが正直どうかと思う。
傍目には衰退傾向にあるとしか思えないオートレース業界だが、それでも若手女性がこの世界に憧れてやってくる事もあるようだ。だがレース選手には危険が付き物である。2012年、当レース場で練習中に事故死を遂げた坂井宏朱選手(享年27)の献花台も場内にあった。あと船橋に所属していた選手は全員他のオートレース場に転属される事になる。
戦後の時代から65年間様々な歴史を刻んできた「オートレース発祥の地」は今月末でその歴史を閉じる事になる。3月21日の特別GI競走「プレミアムカップ」最終日が最後の本場開催となり、30日を最後に場外発売を含めた全ての営業が終了する予定となっている。
船橋と言えば今年1月にはJR船橋駅南口の計画道路整備の為の再開発で土着B級グルメの殿堂であった「らーめん亭&アッサム」が閉店したばかりだが、船橋オートレース場も3月末で終了と、船橋の街から俗っぽい施設がどんどん無くなる一年である。まだ今月中ならオートレース場の喧騒が楽しめるので行ける機会のある方は是非訪問して頂きたい。