【川崎市多摩区】駅前区画整理と無差別殺傷事件に揺れる街「登戸」を歩く【南武線×小田急線】

川崎市多摩区

東京都23区に隣接し、多摩川に沿って東西に広い市域を誇る「川崎市」…東京に近いベッドタウンという理由だけでその人口は右肩上がりに上昇し、2019年6月現在では152万8千人。つい最近になって神戸市を上回り、今では福岡市に迫る全国の政令指定都市第6位の都市にまで成長した。

そんな川崎市でも、東京湾から多摩川を遡り、川崎駅からも遠く離れた内陸側に位置する「多摩区」。そこには南武線と小田急線がクロスする「登戸」という街がある。川崎市役所と中心市街地がある川崎駅から電車で27分(快速なら20分)、南武線の立川・川崎間の中間地点に位置し、一方で小田急線に乗れば新宿にも20分程度で着く。JR登戸駅の駅舎も南武線のみのローカルな立ち位置ながらやたらと立派だ。

同じ川崎市だとタワマンが立ち並ぶ武蔵小杉、駅前が副都心化して商業施設の充実する溝の口とは兄弟分であるはずの街だが、正直駅前のペデストリアンデッキから見た風景は「とても田舎臭い」。そんな登戸の駅前一帯を、思えば散策した機会が無かったものだと「とある理由」でこの土地を訪れる羽目になった。

“平和な街・登戸”を恐怖の底へ叩き落とした「無差別殺傷事件」

それは今後将来にわたってこの登戸の街における負の歴史として永遠に刻まれるであろう、カリタス小学校の生徒を標的とした「無差別殺傷事件」である。2019年5月28日朝、いつものように送迎バスに乗ろうとした生徒や保護者を狙い、50代男が次々と刃物で切りつけた上、自身も自殺を遂げたものだ。当方もこの事件を知った時には「宅間守の再来か」という思いがよぎった。

2人死亡、18人が重軽傷を負うという痛ましい出来事が起きた、登戸駅近くの住宅地の一角には、大量の花束と供え物が手向けられ、犠牲者と何らかの縁があったと思しき、手を合わせる人々の姿が絶えなかった。川崎市でこのような凶悪事件が起きたのは2015年2月に川崎区港町の多摩川河川敷で起きた「中1男子生徒殺害事件」以来だ。

テレビ報道では、インタビューを受けた地元登戸住民の「登戸は平和な街で、こんな事件が起こるとは思っていなかった」という声を伝えたが、同じ川崎市でもガラが悪いDQN地域として名高い川崎区に属する港町と多摩区登戸とでは20キロ近く離れていて、とても同一の生活圏であるとは言えない。

もっとも今回の事件では犯人が犯行直後に自殺してしまい、出っ端から凶行のトリガーを知る由も無くなったわけだが、どのメディアも犯人について養子だった自らの境遇を呪って、養父母の二人の実子が通っていたのに自分だけ公立小学校に通わされていたという点から長年カリタス小学校に歪んだ感情を抱いた末の犯行だという「仮説」に落ち着いている。

そしてこの事件に衝撃を受けた世間では高齢化した父母の家で長期間引きこもる「子供部屋おじさん」と呼ばれる中高年化し社会との関わりを絶たれた人間が危険であるという世論が形作られ、早くも練馬区で元事務次官の76歳男が引きこもりの44歳息子を刺殺する“第二の事件”も起きている。

ちなみに無差別殺傷事件の犯人である岩崎隆一(享年51歳)が住んでいたのは、この登戸駅から小田急線で3駅離れた「読売ランド前駅」から徒歩10分の、麻生区多摩美一丁目である。半世紀前に宅地化された“オールドニュータウン”の一軒家だったわけだが、この麻生区というのも新百合ヶ丘駅周辺の一部地域が高級住宅街化しているだけで、その他の地域はそれほど宜しくもない。そして「パリ人肉事件」の佐川一政も百合ヶ丘にお住まいの“麻生区民”。結局“川崎市”に“安住の地”があると思うのは大間違いなのである。

「登戸」とはどんな地域なのだろうか

確かに多摩区や麻生区といった川崎市北部は長閑な郊外部で、いずれも戦後に宅地化したニュータウンが主になった地域ばかりなのだが、ことさら多摩川沿いに限っては、少し事情が違う。登戸の駅前をひとたび歩いてみると、何とも品のない駅前風景が広がっているのが目につく。フィリピンパブにサラ金ATMに、食い物屋はこぞって「ラーメン」に「すた丼屋」。ああ、こりゃ「いつもの川崎」ですわ。

川崎市の気になる「生活保護率」で見ても、川崎市が発表している2018年11月時点での「生活保護の動向」を参考にすると市全体の平均保護率2.03%を上回っているのが、いずれも南部の川崎区・幸区に限られているが、北部で見ると多摩区を管轄する多摩福祉事務所の「1.72%」が最大値である。東京に近い割には家賃相場も安く、貧困世帯が住める安アパートが多く存在する事も生活保護率を押し上げているに違いない。

駅前のペデストリアンデッキにも堂々と掲げられた「暴力団いらない!安心安全な多摩区」と書かれた横断幕が逆に皮肉にも思えてしまう。その横のビルにもまたパチンコ屋があるし、ことごとく底辺仕様の店舗が揃っている。しかしこの特徴は「ギャンブルライン」と呼ばれる武蔵野線の延長線上にあり、多摩川沿いの低地を走るガラの悪さでは定評のある南武線沿線の街ならデフォルトだ。

成城学園前、新百合ヶ丘など、ちょいちょい高級ぶったエリアが点在する小田急線沿線も、南武線が交わるここ登戸においてはガタンと落差が生まれる。だいたい東横線でも新丸子とか、やたら多摩川沿いだけ下町ぶったエリアになっている通り。

そんな登戸駅前においても「あちゃー」と言いたくなどような民度の低さを思わせる落書きが見られたりするわけだ。書かれている内容がですね、ええ、ええ…それにしても大量の「ビックリマンシール」は何なのでしょうか?

登戸駅前にもやっぱりありましたよ「戦後のドサクサ」的ゾーンが

小田急線登戸駅前に降り立つと、駅前一等地がのっけから「戦後のドサクサ」ばりのゴッチャゴチャした商店街の成れの果てが残っているのが見られる。目下の所、登戸駅前一帯は区画整理事業の真っ最中で、駅前の商店街がまさに立ち退き直後で解体寸前というタイミングだった。

小田急線の西側出口からウネウネヒョロヒョロと伸びるドサクサ商店街。垢抜けない食い物屋や昭和の時代から変わらんような居酒屋が曲がりくねった路地に密集している。唐突にタバコ臭さ全開の喫煙所を兼ねた「たばこ屋」も雰囲気がキテます。

一軒だけ古風な佇まいの果物屋がポツンと営業しているのもツボである。これ、もうちょっと早く来るべきだった。溝の口西口商店街に通じるカオスっぷりが微かに残っている。

駅前のグダグダ路地裏ゾーンで長年土着酒場としてやっていたであろう「とん平」に目が止まった。ちょうど6月1日で店じまい、後日別の場所に移転する予定らしい。ここは呑兵衛の街であることを示すかのように、ベタな赤提灯が日も暮れる前から店先に掛かっている。てっぺんから爪先まで、川崎市はどこまで行っても川崎市。

さらに南武線登戸駅の生田緑地口ロータリーに面した側にも、やはり同様な佇まいのグダっとした飲食街がひしめきあっている。半ば廃墟化したような焼き鳥酒場の残骸に、手打ちそば屋に、携帯ショップに、ちょっと小洒落たバルもあれば…あ、またここにもフィリピンパブが。このへんもいずれ取り壊し対象になるのかも知れませんけれども。

…と思ったらそのすぐ左側では凄まじく古ぼけた建物で「焼肉」の看板を掲げる店の前が大胆にテラス席になっていて、店先で飲んだくれている客の姿が見かけられる。どう見ても酒呑み相手の焼肉屋にしか見えないのに、なんかママチャリで押し掛けて親子で食ってる客もいるけど川崎じゃいたって普通でしょうか。

さてこの「焼肉平安郷」、登戸住民には昔から馴染み深い大衆酒場として絶大な人気を誇っているらしい。焼肉と看板にあるのに、何故かメインは「焼き鳥」というのがまた川崎らしく一癖ある。特に土日は昼間から営業していて、昼酒をかっ喰らう客で一杯になっている。

しかし再開発で駅前のゴッチャゴチャも消えて無くなる登戸の運命よ

元々登戸は津久井道の宿場町の一つとして栄えていた街だったという歴史があるが、鉄道は昭和初期になっての開業で、多摩川に架かる「多摩水道橋」にかけては戦後の昭和28(1953)年にやっと完成している。それまでは渡し船だったわけだ。旧津久井道を中心に古くからの商店も数多くあって、隣の向ヶ丘遊園駅や多摩区役所前あたりに掛けて広範囲に商店街が連なっている。

しかし登戸駅前に関しては区画整理事業で古い街並みは完全に姿を消す予定である。駅前ロータリーとなる予定っぽい土地のど真ん中に「登戸区画整理駅前店舗」と銘打ったそのまんまやん的な建物まで見られるわけだが、また数年経つと再開発が進んで全く違った駅前風景が見られるのだろう。

一部には登戸駅前の再開発で、武蔵小杉のようなタワーマンション乱立地帯が爆誕するのではないかとの噂もあったらしいが、そこまで高密度な開発がされる予定はないらしい。そもそも武蔵小杉は「やりすぎ」である。川崎市が行政レベルで乱開発を許してしまった結果、インフラ供給が追いつかずに駅の改札口が毎朝悲鳴を上げているのだから、その反省が登戸に活かされるのだろうか。

そんな街の行く末を見守るのは、某「未来の世界の猫型ロボット」。藤子・F・不二雄ミュージアムが近所にある関係で、登戸界隈ではやたらとコイツの姿を見かけるのだ。地域の治安を地に貶める悲惨な事件を経験した街・登戸の将来は「ドラえもんが何とかしてくれる」のだろうか。


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