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吉見百穴に隣接する古刹「岩室観音」

吉見百穴近く、巌窟ホテルと廃墟化した土産物屋の隣には岩肌に張り付くように建てられた古いお堂が顔を覗かせている。「岩室観音」と呼ばれる建造物である。パッと見、山門のようだが、2階建ての観音堂だ。
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見た目の古さがヤバいので調べてみると1670年頃に建設されたもので「比企西国三十三所観音札所」の第三札所となっており今なお地元民の信仰が受け継がれている。地味に凄い建物が何の気なしに残っている。ハンパないですね吉見町。


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京都の清水寺のように崖の斜面に造られた「懸造り様式」のお堂で江戸時代のものは、関東ではかなり珍しいらしい。かれこれ300年以上になる建物だが、これだけしっかり残っているのは大したものである。
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観音堂の傍らにある案内板。実は17世紀に建設されたという観音堂は再建されたものらしい。天正18(1590)年に秀吉の関東出陣により武蔵国の松山城が落城したのに伴なって全焼したとか。言い伝えでは弘仁年間(810~824年)に開かれたという話も。隣の吉見百穴の存在といい、やけに歴史を感じる所がミステリアスだ。
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懸造りとなる一階部分にはお堂の建物内に岩室が広がっている。その中には大量の石仏が安置されていた。四国八十八ヶ所の寺の本尊を模した石仏で、これにお参りすると四国八十八カ所巡りと同じ功徳があるとされる。四国に渡ってお遍路さんをやるよりもかなり楽な話だ。
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お地蔵様には何やら一様に札が貼りつけられているのが見える。今なお人々の信仰心の高さを窺わせる光景だ。
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さらに反対側にも岩室が。崩落を防ぐためだろうか岩室や建物自体にも鉄筋の支柱が張り巡らされていて物々しい。大きな地震が次にあった時にはどうなる事やら。
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右手の岩室の中は反対側に洞穴が突き抜けていて光が入る為に内部が明るい。やはり同様に札を貼り付けた仏像が並んでいる。
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左の岩室の脇から2階へ上がる階段が置かれている。ここは参拝者も自由に登る事が出来る。本尊が祀られているのが2階にあるからだ。
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急な階段を登り終えて観音堂の2階に出る。お堂の周囲の欄干が低い位置にあるので、ゆとり仕様の観光寺院しか知らない人はうっかり躓いて転落しないように気をつけよう。
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近所のDQNヤンキー避けだろうか鉄の檻に頑丈に守られていてお顔を拝見しづらいわけだがこの向こうに岩室観音の御本尊が祀られている。
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2階には様々な内容が描かれた額が沢山掲げられていた。何を意味するものなのかはよく調べていないので分からんが、なかなか凄い。
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天井を支える梁のあちらこちらが千社札コーナーと化していてカオスである。経年劣化で札の黒い文字の部分だけがこびりついて残っている。
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夥しい千社札も文化財を汚すという意味ではDQNの落書きと同列の存在である。
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観音堂の2階からは手前の樹木に遮られてはいるが吉見百穴やその駐車場、市野川あたりを見渡す事が出来る。
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何気なしに足元を見ると床板の間に隙間があった。かなり古いお堂である事は間違いないし、うっかり踏み抜きそうで怖い。何の注意書きもないので、よほどの事はないと思うが…
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再び1階に降りると、階段の傍らには「胎内くぐり」の看板が。どうやら観音堂の裏手の山肌に人が潜り抜けられる穴があり、そこに向けて鎖が伸びている。だが今回は潜るのをやめておいた。
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この観音堂の裏手は松山城の北端にあたる場所で裏門跡である。左側に伸びている鎖が「胎内くぐり」のルート。百穴や混浴温泉ばかりか廃墟巡りに廃城巡りも楽しめてしまう。吉見町は隠れた日本文化テーマパーク。

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東京DEEP案内の管理人です。2008年の開設以来、首都圏一都三県の街歩き情報を淡々と記録し続けております。いわゆる日陰者的物件、観光地にもならない場所、ちょっとアレな地域を見物・考察する事を趣味としております。2017年6月15日、単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を発売。
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