玉の井いろは通り商店街から北側の路地に入ると、戦後に再興した私娼窟の痕跡がわずかながらに残っている。
いかにも怪しげな路地裏にずらりとスナックや小料理屋の看板が密集している光景を見ると、ここがかつての赤線の名残りだったのかと思わせるに充分。赤線が廃止されて半世紀以上時間が流れているのに、独特の淀んだ湿っぽい空気が完全に残っている。
玉の井の私娼窟は戦災で丸焼けになってからも勢いを失う事はなかったようだ。戦前の最盛期には500軒近い店が密集し、娼婦の数は1000人も居たと言われるが、戦後に再興した後もおよそ数十軒ほどが商店街の北側に移転して営業を続けていたそうだ。
戦後にカフェー街として営業を続けた店舗の建物がそのまま残っている、墨田区墨田三丁目の住宅街。現在は普通の民家やスナックなどとなっているが、赤線時代からもひっそり暮らす住人の中にはかつてのカフェー街で働いていた関係者も少なくはないという。
まるごと赤線時代の特徴を生かした建物が残る「スナックプリンス」。多少は改装が加えられているが、玄関口の外壁の曲線など、建築の樣式は共通している。
玄関前に張られたメニュー表。「ウヰスキー」「各フイズ」と書かれたあたりに昭和を感じさせる。私娼窟で
東京の真ん中にあって、街の新陳代謝が驚く程少ない墨田区の路地裏特有の事情があるようだ。同じ元遊郭でもマンションだらけに変わってしまった洲崎とは全く違う。
迷路のように張り巡らされた路地は、非公然的に営業していた私娼窟であるがゆえのトリックで、もし警察のガサが入った時に撹乱させる意図があったなどと言われている。そんな怪しい路地が未だに残っているだけでも見所の多い街だ。
私娼窟にふと迷い込んだ男衆に案内するかのように「近道」「ぬけられます」といった看板が随所に掲げられていたそうだが、今では見かける事もない。
その代わりに角地の「スナック恋心」の前には「車ぬけられません」と書かれていて、皮肉めいたものを感じる。もう私娼窟でもなんでもないから、確かに抜きたくても抜けないわな。
脇道に入った住宅地の中にも、緑色のタイルが目立つ建物が残る。
こういう私娼窟の跡地で見かける「おにぎり」「お茶漬け」と書かれた小料理屋も、かつては娼婦を抱えて「営業」していたのかも知れない。
商店街の裏の怪しげな路地をそのまま東向島駅方面に歩くと、古い焼肉屋「玉の園」が現れる。精をつけろとばかりに風俗街の前に焼肉屋のコンビネーションはどこでも見かけるものだが、カフェー街が消えて、焼肉屋だけが残った形か。
廃墟となったのが単に商売していないだけなのか、潰れたスナックのテント屋根には植物が覆いかぶさっている。角地だけに「カド」。そのまんまやんけ。
少し歩きまわるとすぐに東西南北の方向感覚が掴めなくなる玉の井の路地裏。一度や二度訪れたくらいでは地理関係を把握することはままならないだろう。
「カド」の角を北へ入ると「おでん お茶漬 壺」とうっすら書かれた跡が残るボロボロの店舗兼住宅が現れる。
その先にももう一軒、ピンクの外壁が際立つ赤線建築が現れる。皆、例外なく普通の個人宅になってしまっている。
さらに路地を突っ切った先のT字路には銭湯「隅田湯」がひかえている。なんとなく外観が遊郭建築のそれを思わせるのは、やっぱり場所柄ならではの事情があってのことか。