アーケード修復の為に必死で電波チックな高橋商店街を抜け出した後、森下三丁目付近の路地を歩くと、やたらとビジネスホテルが多い事に気付く。
実はこの界隈、戦後の高度経済成長期までは山谷と同じようなドヤ街として発展してきたという歴史がある。高橋商店街の東側、新大橋通り南側一帯に古いビジネスホテルやドヤの名残りを残す風景が固まっている。
とは言っても、山谷ほど極端に街並みがドヤ街らしいかと言えばそんな訳でもない。殆ど、ありふれた深川の下町といった風情に溶け込んでしまっていて、その中にぽつんとビジネスホテルが乱立しているといった所だ。
山谷みたく労働者風のオッサンがそこらじゅうの路上で酒盛りしていたり、群れを成して歩いていたりということはない。かなり寂れている。
その中にひときわ古めかしい建物が残っている。まさにドヤ街を象徴する職安の建物だ。公共職業安定所深川出張所、看板を下ろしてしまっているのは既に役割を終えたからだろうか。
この職安前の一帯が、ドヤ街らしさが最も残る風景である。森下三丁目という新しい地名だと現役時代を知る人にはピンと来ないが、深川富川町、高橋ドヤ街と呼ばれていた場所だ。
職安の建物向かいには「勉強館」という曰くありげな名前の簡易宿泊所が現役で営業している。二階と三階部分の構造を見るに、ドヤらしい特徴を見事に示しているのが分かる。
各部屋の窓にカーテンや衣類、よしずが吊るされているのを見る限り、まだまだ入居者は多いようである。むしろ終の住処にしている老人も居るような気配だ。
横手の路地に入ると、今度は一回り小さめの建物を構える「大江戸荘」が見える。玄関先の張り紙には「満室」と書かれていた。その向かいでは行き場のなさそうな労働者風のオッサン二、三人が煙草をふかしながら談笑している。
昭和の高度成長時代に建てられた現役のままの古いビジネスホテルもあれば、改築されて比較的目新しいものもある。
およそ2~30軒程度だろうか。規模は山谷にははるかに劣るが、ひと区画に密集しているだけに見た目のインパクトは大きい。
外観が綺麗な感じのホテルとなれば宿泊料金は既にドヤの価格帯ではなくなる。交通便も良いので一般客の利用もそれなりに多いものと思われる。
ドヤ街エリアを少し外れると、真っ赤な外壁のオンボロマンションがそびえているのが見える。都営高橋アパート。1階(と中二階?)は店舗となっているが、その上は住居棟。建設時期はなんと昭和32(1957)年というから、かなり古い。
この都営住宅が出来た時代、高橋ドヤ街と呼ばれていた頃は戦後の事情もあって貧民窟として知られた街の一つだったそうだ。その名残りは徐々に取り壊されて消えていこうとしている。いずれはこの住宅も老朽化で解体される時が来るだろう。
参考記事・資料
深川森下界隈
精神薄弱児(者)のスラム-東京深川高橋ドヤ街-における実態について


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