バスの券売所だったはずの窓口横に、なんとも大人の盛り場ムード全開な看板が置かれていて、その先の階段へと好奇心をそそろうとする。しかもフィリピンパブか!さすが東武東上線沿線!
鶴瀬駅前市場の二階に上がると、色気も華もない冷たい無機質な廊下が真っ直ぐ伸びており、ビルの反対側の路地へ通り抜けが可能。その片側に場末感たっぷりのスナックが玄関を連ねる。
盛り場にありがちな注意書きなども。しょぼそうなチンピラ多そうな土地柄なんですよねぇこのへんも。
ともかくフィリピンパブの看板だけが存在感が強い。他にも「レモンの木」という渋そうな喫茶店もあったらしいが、とっくに廃業した模様。落ち着ける昭和な純喫茶は鶴瀬駅前からは絶滅しましたか。
ところでまだ行き忘れていたのが、富士ビルの二階から上である。実は二階と三階は商店ではなく住居フロアになっているのだ。その入口に並べられたアルコール類の自販機がアホ程充実しているのもお土地柄か。
富士ビル住居部分へ続く階段も築半世紀オーバーの貫禄感じさせるなかなかの不気味さが良い。学校の怪談に出てきそうな夜の校舎を彷彿とさせる作り。尾崎豊に感化されて窓ガラス壊して回った不良中学生にエンカウントしそうな勢いです。
で、二階までお邪魔させて頂いたのだが…ふぇぇぇ…昭和39(1964)年そのまんまでんがな…東京五輪があったのってそんなに太古の昔だったんですね。富士ビルが建った頃生まれた子供が、今では50歳なんですよね…
住居部分は、共用廊下を内側に配し、その中央部分が吹き抜けの空間になっていて、どの部屋の玄関からも住民の顔が見える仕組みだ。当時はさぞかし先鋭的な建物だったのだろう。この時代の共同住宅なので、洗濯機や洗濯物を置くスペースはみんな廊下しかない。
外周部分は変則五角形の建物だったが、中央の吹き抜けまで複雑な形状である。直角90度でない角度というのは今どきのマンションでは当たり前な合理性・規則性に反していて、それもまた個性を放っている源だ。
建物中央の吹き抜けは完全に開放されておりそのまま空の下に晒されている。吹き抜けの広場は住民の洗濯物干しスペースや、趣味の家庭菜園や花壇が置かれている。住民も殆ど高齢者ばっかりなんだろうな。
ともかく、各部屋の玄関口も相当にレトロ過ぎて涙が出そうになる。間取り的もそれほど広そうな感じもなく、今どきなファミリーが住んでいる印象は全くない。規模的には二階と三階に十数室ずつといった感じか。
ビル内には掲示板らしきものも特に見当たらなかったので、再開発で建物が解体される旨の通知もなく、ただひっそりと余生を過ごしているだけといった印象だった。これが県営住宅とかだったら「再開発反対!」とか赤い人らがギャーギャー騒ぐんだろうが、民間物件らしいのでそのような事も起こりようないですよね。
そんな鶴瀬駅東口の再開発だが、もう駅前の大通りが完成しかかってるし、広場が完成する頃には知らない間に富士ビルの解体が始まったりするかも知れない。東上線沿線の場末な郊外の下町に、消えかかっている昭和の風景を見に行きませんか。