江戸時代に遊郭が開かれおよそ400年、今もなお全国最大級の「お風呂屋さん」街として名を馳せる「吉原」。旧遊郭地が現在もそのまま台東区千束四丁目に属している。
地下鉄三ノ輪駅から土手通りに沿って徒歩10分の場所に、そのものズバリ「吉原大門」という交差点が現れる。ここがかつての吉原遊郭への唯一の入口だった場所。そして今でも吉原に通ずるメインストリートの玄関口として辛うじて交差点の名前に名残りを留めている。
吉原大門交差点の角、ガソリンスタンドとなっている敷地の脇に一本の柳がある。これが「見返り柳」だ。柳の木の周りには保護の為に囲いが取り付けられているが、元からあったものではなく、かつては土手の上にあったものが震災や戦災で何度も焼失しているので、何代にも渡って植え替えられている。
柳の木の前に置かれた案内板にも書かれている通り、この見返り柳は京都の島原遊郭の門口の柳を模して作られたとある。吉原遊郭の帰りの客がこの場所で後ろ髪を引かれる思いで遊郭を振り返ったという話に基づいている。小塚原刑場に泪橋といい、この辺の史跡には人の物悲しさを誘うものばかり。
山谷堀も埋め立てられ、隣はガソリンスタンドと何とも味気ない場所になってしまったが、見返り柳の傍らには古い石碑も置かれている。「新吉原衣紋坂」とあるが、大門の手前にある衣紋坂の名は、遊郭に足を踏み入れる前に男どもが衣紋を繕って(今風に言うと身なりを整えて)いた事に因んでいる。
石碑の裏側。「吉原六ヶ町々会、吉原三ヶ団体、浅草観光連盟、堤町会、他有志一同」とある。「吉原六ヶ町」というのは旧吉原遊郭内にある旧地名、新吉原江戸町一丁目、江戸町二丁目、角町、揚屋町、京町一丁目、京町二丁目の六ヶ町を指している。
揚屋町を除いては、遊郭移転前に日本橋人形町付近にあった「元吉原」の頃からの地名を継承している。さらに堺町・伏見町が加わり、計八ヶ町となる。堺と伏見はいずれも関西の地名。新吉原遊郭が開かれた当時は堺の乳守遊郭、伏見の墨染遊郭の出身者が多かったためにこの地名が名付けられた。
見返り柳を後にして、ガソリンスタンドの横手からかつての大門があった吉原への入口に足を踏み入れる。衣紋坂という坂があったというが、坂道らしい傾斜もないし、コンビニや新聞屋が並んでいるだけで、一見すると街並みはごく普通のものである。
しかし道が不自然に蛇行している事に気付くであろう。これが「五十間道」である。これは土手通りに大名行列があった時に遊郭の中が見えないようにするため、わざとS字カーブをつけたものと言われる。そんなものが今の今まできっちり残っているのだから、ある意味凄い。
五十間道のS字カーブを抜けた先には交番がある。かつてこの付近に吉原遊郭の大門と、遊女の逃亡を監視するための四郎兵衛番所があったようだ。交番の先からは道が直線となっている。昔も今も吉原のメインストリートである仲之町通りだ。遊郭時代には上級客が利用していた引手茶屋が連なっていた。
仲之町通りの両脇には柳並木が整備されていて、にわかに遊郭の名残りとしての風流さを漂わせるが、「吉原炎上」で見たようなご立派な妓楼の立ち並ぶ姿は吉原大火やその後の震災・戦災で跡形もなく焼失している。マンション、雑居ビル、個人商店が混在している。
しかし、それでもやはり吉原遊郭の系譜が受け継がれている街並みは一目で理解できよう。昼間訪れてもかなりの数の「お風呂屋さん」が営業していて、蝶ネクタイに黒のスーツを決め込んだボーイが店の前にスタンバイ、通りがかる男どもに呼び込みをかけている。
遊郭時代には最も格式が高い大見世だった「角海老楼」が建っていたのは現在の千束保健センター交差点北側の角。明治17(1884)年に当時はまだ珍しかった時計台の付いた洋風三階建て妓楼を400坪もの土地にこしらえ、吉原遊郭で最も多くの太夫を抱えていた。
しかし吉原一の格式を誇っていた角海老楼は明治44(1911)年の吉原大火で全焼してしまう。その時代の遊郭の情景を再現した1987年の映画「吉原炎上」では、名取裕子、かたせ梨乃といった当時の名女優が大胆な演技と豪奢な花魁姿を披露し大ヒットした。
さすが吉原、あまりに特殊なお風呂屋さんが多いので、特殊ではない普通の街の銭湯として千束四丁目の見返り柳裏手の路地で営業している「堤柳泉」に行くと…
銭湯の看板にはでかでかと「普通公衆浴場」の表記が成されている。これはまさしくお風呂屋さんの街として現代に生きる吉原でしか見られない光景だ。堤柳泉は地下にカラオケ居酒屋も完備しており近所のご老人方のオアシスとして機能している。
一方で仲之町通りには「全日本特殊浴場協会連合会(全特連)」の事務所もある。国内唯一の全国組織でもあり、日本全国にあるソッチ系のお風呂屋さんは全てこちらの協会に所属しているそうです。「安心で明るい街 健全な環境づくり」がスローガンのようです。皆様一つ宜しくお願い致します。
かつて遊郭時代には引手茶屋が連なっていた仲之町通りを中心に、八ヶ町の筋と両脇の「羅生門河岸(東河岸)」と「浄念河岸(西河岸)」、遊郭全体を取り囲んでいた「お歯黒どぶ」を境に、今で言うところの東京ドーム2個分、約2万坪以上を誇る広大な面積もそのままに、「吉原」は東京を代表する一大「特殊なお風呂屋さん」地帯として平成の世に生き残っている。
吉原・千束四丁目マップ