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東京都下唯一、現役の遊郭建築が残る街!八王子市「田町遊郭」

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八王子駅北口からかなり離れた、浅川沿いの田町という所に遊郭跡があるという話を聞きつけて、再度八王子の地を訪れた。

田町遊郭の跡地へは八王子駅から徒歩15分程度掛かる。明治30(1897)年、横山町・八日町の甲州街道沿いにあった遊郭が大火で焼失した後、田町に移転の上再興、昭和33(1958)年の法律施行までの約60年間続いていた遊郭だ。

八王子駅前の歓楽街を抜けて甲州街道の横山町交差点をそのまま北上すると、田町遊郭入口に辿り着く。

田町遊郭の手前に広がる元横山町一帯は古い住宅地と商店が混在する、鄙びた街になっている。政党ポスターだらけのラーメン屋「萬友亭」が最初の目印だ。

家族経営だからこそのゆるさだと思うが店の前の政党ポスターに負けないくらい、勝手口付近に乱雑に置かれた家財道具の姿が印象的。この先も古ぼけてどうにもならない飲食店がちらほら残っている他は寂れた街並みが続く。

ここは八王子市街から浅川を渡る暁橋に至る道である。両側はただただ住宅街。こんな所に遊郭跡など残っているものなのか、にわかに疑わしくなってくる。

道すがら見つけたのは古い橋の遺構である。浦田橋という名前が残っているが、石橋の欄干以外はコンクリートで埋められてしまい、うっかりするとここが橋だったとは気づかない程だ。

確かにこの場所に小川が流れていたらしくその跡が埋められ路地になってはいるが、くっきり残っている。

そのまま暁橋の手前までどんどん進んで行く。元横山町という地名が示すようにこの界隈は八王子の旧市街地にあたる部分で、相変わらず時代に取り残されたかのような飲食店があちこちに並ぶ。

寿司屋なのか定食屋なのか居酒屋なのかさっぱり分からない、古い飲食店の玄関口にはかなり昔の自動販売機が放置され続けている。完全に商売する気がないようだ。

向かいの焼き鳥屋は最近まで頑張っていたような印象があるが、どうやら店じまいしてしまったらしい。とことん鄙びている。

暁橋南詰というT字交差点の先に田町遊郭跡が広がっている。その入口にはクリーニング屋が一軒。

先程まで辿ってきた道がやたら細かったにも関わらず、田町遊郭跡の通りに出ると無駄に車道が広い。かつての遊郭の大門通りの名残りである。とは言ってもここが遊郭だったなど周りの建物を見ても想像しがたい。

傍目から見ると完全に住宅街の一画になってしまってはいるが、この大門通りに沿って数軒程、かつての遊郭の名残りを示す妓楼や旅館の建築が現存している。

大門通り沿いにある「八王子市田町」の住居表示板。田町と聞くと品川と浜松町の間にある駅かと勘違いしそうになるが違う。

住居表示板の裏側を見ると案内図がある。八王子市田町は元横山町三丁目を三方に囲まれて存在しているのだ。厳密には元横山町の外れの田圃が広がる一画を「田町」にしたのだろう。田圃のど真ん中に町を作ったから田町と言う事か。

土地の歴史を知らずとも、どこか異質さが感じられる区割りである。

八王子田町には、およそ150メートル程の大門通りに沿って十数軒の妓楼が並んでいたと言われ、現在も三軒の妓楼が現存している。田町遊郭跡を訪れると、妓楼とともに立派な料亭風建築も見られる。

八百福と屋号のついたこの店、料亭ではなく旅館のようだ。現在は商いをやめてしまったのか静かに時を刻んでいるのみ。

玄関脇には趣きのある黒塀とその向こうには重厚な屋根瓦の母屋が連なっている。現在は「デザインルーム」のオフィスになっている模様。時代が変われば商売も変わるものだなと。

八王子田町の特筆すべき点は、戦前の妓楼建築がそのままの形で残っている事だ。その中には大幅に改築が加えられて「貸しトランクルーム」などと看板が掛かっているようなものもあるのだが、屋根や庇、窓の装飾はおおむね当時のままのようだ。

現在はただの倉庫に使われていて実に惜しい妓楼の一つ。『赤線跡を歩く』によるとこの建物は「蓬莱」の屋号で、一時期は1階部分が中華料理屋に使われていたとのこと。

空襲を免れた為に戦前の妓楼が残っているのは都内では八王子田町だけらしい。

建物の横っ面を見ると全く荒れていない。まだまだ建物としては全然使えそうなのだが…

「蓬莱」の裏に回るとこちら側は表から見るよりかなり間口が広い。隣接して賃貸マンションがある。大門通りと裏通りの間の距離を考えるとどの妓楼建築もかなり奥行きの深い大きな建物であることが実感できる。

もう一軒、かなり綺麗な形で残された妓楼があるが、こちらは一般人の住宅として使われていた。2階部分の窓があった所は全て塞がれてしまっている。

この民家の軒先にもなかなか個性的な黒塀が立てられていた。

今となっては寂れきった住宅地というような場所だが、妓楼と民家に混じって食糧倉庫が置かれている。

何軒か残る妓楼の中でもとりわけ見た目が強烈なのがこの建物。完全に蔦に覆われてしまって外観が分からないし、敷地内の樹が伸び放題で凄まじい大きさになっている。

厳重に蔦でラッピングされた建物は蔦の葉が枯れ落ちる冬の間でなければ外観を拝む事が出来ない。戦後の赤線廃止後には転業旅館として営業を続けていたそうだが、それも廃業し、完全に廃墟状態に。

玄関口からこっそり中を伺うと、昔の妓楼だった時代の淫靡な空気がにわかに漂ってくるような気がする。玄関上に小さく「旅館松屋」と書かれているのが見える。

残念ながら廃墟となってしまったせいで内部はかなり荒らされた形跡がある。日本建築かと思いきや1階の窓の部分はなんとなく洋風だったりと、独特のセンスを伺わせる建物だ。

幸いにも建物横面は蔦にお追付されておらず外観の様子をじっくり観察することができる。

錆び付いたトタン屋根に相当の年月を刻んだ事を伺わせる。戦前の妓楼が残る都内唯一の場所という貴重な田町遊郭も、歴史から抹殺されるかのごとく、ただ荒れるに任されるだけなのか。

ちなみに八王子田町遊郭について記したものに「哀愁の田町遊廓浜田楼」という書籍(エッセイ)がある。興味のある方はご一読されてはいかがだろうか。


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東京DEEP案内の管理人です。2008年の開設以来、首都圏一都三県の街歩き情報を淡々と記録し続けております。いわゆる日陰者的物件、観光地にもならない場所、ちょっとアレな地域を見物・考察する事を趣味としております。2017年6月15日、単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を発売。
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