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【死者11名】川崎・日進町ドヤ街の簡易宿泊所2軒全焼の現場を見てきた

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戦後の高度経済成長期に工業都市として発展した川崎市、そんな中でも川崎区は工場や現場の労働力として地方から集まった人々を受け入れる為の簡易宿泊所が数多く建てられた地区で、規模は山谷や寿町程ではないが、昭和30~40年代に建てられた粗末な木造建築の簡易宿泊所が市内各所に点在している。

中でも日進町は30数軒の「ドヤ街」が形成されていて京急八丁畷駅近くに密集地帯が存在するのだが、今回この日進町でとうとう起きてはならない大惨事が発生した。

川崎市 八丁畷

2015年5月17日午前2時頃、川崎区日進町の簡易宿泊所「吉田屋」の玄関付近から出火したと思われる火災が発生、隣接する「よしの」と合わせて二軒が全焼、焼け跡から死者11名、重軽傷者十数名を出している。燃え盛るドヤの中から助けを呼ぶ住民男性の声が生々しくテレビで全国放送された。その現場はどうなっているのか、当取材班も少し様子を見に来た。

日進町ドヤ街は京急八丁畷駅が最寄りだが、川崎駅からも徒歩圏である。ド派手な内装で有名な魔窟「電脳九龍城」のゲームセンター「ウェアハウス川崎店」があるのも同じ日進町。惜しい、電脳九龍城の裏のところが本当の魔窟なのだ。

川崎市 八丁畷

全焼した簡易宿泊所「吉田屋」「よしの」の二軒は、周囲三方を鉄筋コンクリートのマンションに囲まれた形になっていて、一時期は炎が隣接するマンションの8階くらいまで立ち昇り、マンションの住民の多くも一時避難。ドヤの北隣にあるコインパーキングに泊めてあった車にも延焼し、車数台も被害に遭っている。

川崎市 八丁畷

火災から3日後の20日に訪問したが、警察と消防による現場検証と行方不明者の捜索活動が続いていた。この日は3人が心肺停止状態で見つかり、いずれも死亡が確認されている。大量の瓦礫と、いつ御遺体が出るか分からないという状況から、ドヤの前の道は完全に塞がれ、ブルーシートに覆われていた。

川崎市 八丁畷

火災の原因は漏電もしくは放火の疑いがあるという事だが、一部報道には火災直前に「吉田屋」の玄関口で誰かが言い争う声が聞こえたと伝えられてもいる。川崎警察署の真裏という立地だが、なにせ築50年超の簡易宿泊所。突然の火の手から人命を守るのは難しい。

川崎市 八丁畷

実は当取材班、この二軒の簡易宿泊所の様子を先月4月に撮影している。日進町のドヤ街というと、京急線北側にある「9・10番地」の密集地帯がどうしてもメインになるので、そこから少し外れた場所に二軒建っているのを見落としていた。これが焼け落ちる一ヶ月前の「吉田屋」「よしの」の外観である。

川崎市 八丁畷

この二軒はどちらも昭和36(1961)年に建設されたものだという。つまり築54年。見た目は3階建てだが、よく見ると3階部分の窓が屋根のスレスレの高さの所に取りついている。実は建築申請時は「2階建て」で、後から3階建てに増築したまま黙認されていた「違法建築」だったというのだ。

川崎市 八丁畷

川崎市側も半世紀以上、完成後の検査は一切行っていなかった。死人が大量に出てからようやく重い腰を上げるのがお役所仕事で、川崎市は市内にある簡易宿泊所の大半で緊急立ち入り検査を実施し始めているが、45軒調べた中の30軒が同様の「違法建築」である事が判明したという。

「よしの」の屋号が記された古風な看板も半世紀の重みを感じさせるものであるが、まさかこの写真を撮影した時、よもやこの建物が後に火事に遭うとは思ってもみなかった。

川崎市 八丁畷

「吉田屋」の建物側面。二軒とも粗末な長屋なのに50室もキャパシティがあって、ここに50人前後が暮らしていたというが、住民の9割5分は身寄りのない高齢の生活保護受給者である。一部屋3畳、一泊2300円の月極で69000円、この価格は川崎市の生活保護から支給される住宅扶助額上限(69800円)ギリギリ。ドヤの経営者からするとナマポ高齢者を住ませておけば食いっぱぐれもないし、光熱費持ちでも利益はかなり挙がるのではないか。50人住ませて月々345万か…

川崎市 八丁畷

こんな違法建築に数十年も住ませてドヤの経営者の私腹を肥やさせておいて何が「福祉」なのだろう。同じ税金を使うなら市営住宅に斡旋するのが本来の役所の役目ではないのか。そういう意味で今回の火災は高齢福祉アパートと化すドヤの防災問題に加えて、生活保護や福祉行政の在り方にも一石を投じる機会になれば良いのだが、役所が重い腰を上げて動いてくれなければ、身寄りもなく孤独に死んだ人達はただただ無念でしかない。

川崎市 八丁畷

日進町ドヤ街に掲示されている「日進地区案内図」。日進町ドヤ街は昭和30年代までにこの規模にまで膨れ上がり、全盛期40~50軒近いものが現在も36軒あるので、時代に移り変わりで労務者の一時的宿泊所という当初の役割から高齢福祉アパートに代わっただけで、日進町ドヤ街自体は大して衰退していない。

今回の火災は離れ小島のように二軒だけぽつんと離れていた「吉田屋」が火元だったが、これがもし地図に示された「密集地帯」のどこかで同じ火事が起きれば、死者の数は10倍に伸びていただろう。ドヤが何故「ドヤ」と呼ばれているか、それは宿にも値しない粗末な宿を皮肉って逆さ読みされているのが由来だ。


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東京DEEP案内の管理人です。2008年の開設以来、首都圏一都三県の街歩き情報を淡々と記録し続けております。いわゆる日陰者的物件、観光地にもならない場所、ちょっとアレな地域を見物・考察する事を趣味としております。2017年6月15日、単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を発売。
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