【さいたま市】中華タウン化が激しいと言われる大宮「東宮下団地」見学

さいたま市

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さいたま市見沼区にある県営東宮下団地一帯は中国人やベトナム人を中心に外国人住民が流入する多国籍化団地の一つである。その話を耳にした東京DEEP案内取材班、意気揚々に団地の様子を伺いに来た訳だが、海外放送受信用のでかいパラボラアンテナを掲げた家を見かけるくらいで大して目立つ物件もなく、いささかテンションが上がらない。

東宮下団地の東側は団地の老朽化を迎え順次建て替え工事が進んでいる。2階建てのオンボロ団地が南東側に密集しているが、皆一様に住民が立ち退いた後で、取り壊しの日を待ち続けていた。

東宮下団地(埼玉県住宅供給公社のサイトには「大宮東宮下住宅」とある)は昭和42(1967)年に造成が始まり、かれこれ40年以上の歴史がある。2階建ての簡易住宅が立ち並ぶ一画は初期の建築であろうか。

この一帯では住民の高齢化が激しく、地域の小学校も全盛期の五分の一に生徒数が激減している。何も過疎化の問題は秩父の山奥ばかりではないのだ。

そして空き家になった団地には続々と外国人が定住し始めた。同じく外国人団地化した川口の芝園団地などとさほど変わらぬ事情である。

遊ぶ子供の姿も消え、雑草が伸び放題になった団地内の児童公園がその窮状を示しているかのようだ。

ふと道端に目をやると鳩が死んでいる。コバトン哀しいよコバトン。

鳩が平和のシンボルというなら日本の将来もいずれはこの鳩のように…ならない事を願いたいですね。

やけに粗末な造りをした同じ建物がずらりと並んでいる様子を見ると、どういう経緯で建てられた団地なのかが非常に気になる。スラム対策で急ごしらえで整備されたのだろうか。

ただ住民も消えて抜け殻になった住宅だけを見ても、生活状況がいかほどのものだったか想像しづらい。伸び放題になった雑草の高さが年月を物語っている。

全ての団地の入口には人の立ち入りを拒むワイヤーが張り巡らされ、部屋の玄関やベランダ、窓という窓にはベニヤ板が打ち付けられている為、部屋の中の様子も見る事ができない。

東宮下団地南東側一画にはこうした簡易住宅風の住宅が28棟残っている。早かれ遅かれ取り壊される運命にあり、物悲しさを誘う。

住宅は一部屋ごとに1階と2階で繋がっていて一軒家感覚で住めるタイプになっている為にそれほど窮屈さを感じない。おまけに各戸ごとに庭まで付いている。家庭菜園も楽しめた事だろう。

結局老人だらけの寂れた団地だなあという印象ばかりが強かった東宮下団地。探せば外国人系の店など色々あるかと思われるが、テンションが続かないので野良猫とじゃれた後に早めに切り上げた。この付近の野良猫は不思議と警戒心がない。

この団地も結局は日本の将来を映す縮図の一つとなっているようである。どこにでもある風景、だがそのうち日本中がこんな風になるのか?という危惧も抱きつつ、我々は再び七里駅へ戻る道を引き返した。


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