小江戸川越に残る花街の遺構…ほぼ廃墟状態の激渋飲み屋街「弁天横丁」

川越市

川越市の観光名所となっている「蔵造りの町並み」で知られる一番街を抜けた北側の「札の辻」交差点近くに戦前からこの地にあった古い花街の遺構が残っているのだが、休日ともなると観光客が闊歩するメインストリートの目と鼻の先にありながらまるで見捨てられたような姿を晒している。

川越市 本川越

「弁天横丁」と呼ばれていたこの飲食街の入口。一番街に沿って歩くとそのまま真っすぐの場所にあり非常に車通りも多く人目にもつきやすい場所だが、入口には申し訳程度に小料理屋やパブの屋号が並んだ小さなアーチ看板だけが掛かっており目印としては地味。

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川越の旧市街地には属している一帯だが、駅からも遠く離れたこの場所に戦後の頃まで芸者衆がいたという、そんな賑やかな色街があったとは想像も付かず、最近までノーマークですみませんでしたね。もっと昔の頃は「芸者横丁」という呼び方もされていたようだ。それではアーチ看板をくぐって「廓」の中に入る事としよう。

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一歩、弁天横丁の中に足を踏み入れたらこの通りの廃れた佇まいの路地裏風景となる。錆びついたトタンの壁の建物、枯れた蔦が絡まる建物…つまりただならぬ終末感に満ち溢れている訳である。これはもう「廃・テンション」…

かつては「芸者横丁」と呼ばれ戦前から花街だった

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戦前の頃からそのままだろうと思われる古びた家屋が所々廃墟化していたりする。一番街が蔵造りの町並みが川越における表のレトロ遺産なら、弁天横丁は完全に裏のそれである。

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特にこちらの家屋は荒れるに任される状況で、窓も障子紙も天井も割れ放題崩れ放題。一方の西小仙波町喜多院裏にある遊郭(厳密には乙種料理店)跡が比較的建物が綺麗に残されているのに対して、こっちは随分な放置プレイぶりだ。

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こんな寂れたどころか終わりかけた飲み屋街となっている弁天横丁…案外通行人は多い。路地の途中が微妙にカーブを描いているあたりもツボに来る。唯一現役と思われるスナック「ロートレック」の建物。地味な門構えだが二階部分に目をやればゴツい蔵の窓に鉄扉が取り付いていて、さすが小江戸川越らしい重厚感溢れる建物であると分かる。

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ロートレックってなんじゃそれはと無学ぶりを晒す訳であるが19世紀末に活躍したフランスの画家さんのお名前らしいですね。店内は恐らく我々のようなニワカな観光客にはとても近づけない程の濃密な大人の空間が広がっているのでしょう。

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その奥に連なる建物がかつての花街時代の置屋であった。今ではここも営業していないようで、以前はここの看板に「小料理屋悦」と出ていたようだがすっぽりと外れてしまってフレームだけが残っている。元芸者置屋「二葉」。元芸者だった女将が最近まで小料理屋をやっていたらしい。

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そんな元置屋の向かいが豪快に空き地になっているが、ここにも昔置屋が建っていたそうだ。しかし昭和30年代までにそうした置屋は衰退して細々と飲食街として生き残っていたという感じか。

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ちなみに喜多院裏も、戦後の赤線地帯を紹介する名書「全国女性街ガイド」には川越だけに「イモのような花魁」「風物はよきだが、女はダメ」と一蹴されている通り、色街としては不人気だったのが川越で、さぞ廃れるのも早かったのだろう。

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弁天横丁を抜けて裏宿通りに出る手前にもこのような妓楼チックな丸窓と京都の町家の如きトンネル路地のあるゲロ乙過ぎる長屋が現れる。これも元置屋だろうか。川越ってほんと奥深すぎますよね…こんな建物が残っていようとは。

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トンネル路地の奥を眺めると本町通りまで真っ直ぐ路地がぶち抜いていて見た目にもそそられる景色が見られるが、私有地となっているので許可無く通行する事は出来ない。昔は芸者衆や遊客が往来していたのだろう。

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弁天横丁に残るこちらの長屋、大正初期に建てられたものであるが一部は地元のNPO法人が埼玉県の助成金を受けて改修してギャラリーに使用している。古い建物を維持するのは並大抵の事では出来ないもんです。

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あと裏宿通りに回ると、これまた乙な掘っ立て小屋ライクな一杯飲み屋の跡と思しき建物も見られる。現役時代に一杯やれたら良かったですが生まれてくる時代を間違えましたねこりゃ。

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しかし「この奥に貸家があります」の看板が気になって建物脇を覗き込むと、この通り。これは相当凄まじいロケーションの賃貸住宅ではなかろうか。空き部屋かどうか知りませんが間取りは2DKらしいです。川越暮らしに憧れている懐古趣味なお方はこの物件、如何でしょうか。


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