地元民が酔っ払ってタクシーで帰る時に間違えて千代田区の官庁街に連れて行かれる事もあるという、埼玉県川越市にある「霞ヶ関」にやってきた我々取材班。東京の霞ケ関よりも歴史のある地名だと地元民が胸を張る、そんな街には何があるのか気になってふらふら歩いていたのだが、この街にあるとんでもなくレトロな商店街を見つけてしまった。
東武東上線霞ヶ関駅南口から東京国際大学がある「かすみ北通り」沿いをまっすぐ400メートル程歩くと突然レトロな佇まいの商店街が姿を現す。手前にある「かすみ商店街」とは別で、今度はさらにしっかりと商店街の体裁を留めている。
その商店街の名前は…「角栄商店街」!!角栄ってあの田中角栄ですか?という事はさておき、角度を変えて一個ずつ回転しているキューブ状の看板がユニーク過ぎて萌える。
昔は商店街の入口にでかいアーチ看板が掛かっていたようだが、老朽化の為か撤去されてしまっていて、現在はこのキューブ看板が残っているのみ。
商店街の入口にある診療所にも「角栄」の二文字が。高度経済成長期のイメージも重なるし、さっきから田中角栄の名前しか頭に浮かばないのだが…
田中角栄の時代、昭和の高度経済成長期でイケイケドンドンだったイメージとは裏腹に、この商店街も例に漏れず廃業してシャッターを下ろしたままの店が多く、見るからに寂れている。駅から近くもないのかして、ネパール人や韓国人が飲食店を開いているような様子もあまり見当たらない。
インド・ネパール系の店はあまりない代わりにこんなものが。「カワイコチャンがいて安く気楽に飲める店 プチエンジェル」だと…「カワイコチャン」のカタカナ表記が昭和世代を感じさせるが、まさかホステスが小学…いやこれ以上はヤバすぎるので言わないでおこう。
角栄商店街はスーパー「エコス霞ヶ関店」を中心に全長約350メートルある。歩道にはしっかりとアーケードも築かれていて、雨の日にも濡れずにお買物できる仕様だ。これだけちゃんとした商店街があるなんて、侮れないな、霞ヶ関…
この古き良き昭和の風情を漂わせる角栄商店街が霞ヶ関駅から離れた場所にあるのは、昔「角栄団地」と呼ばれていた、この周辺に造成された住宅地の住民を対象として開かれた商店街だからだ。現在も年季が入った個人商店ばかりが軒を連ねる。
角栄団地は昭和40年代初め頃に「角栄建設」という民間のデベロッパーが開発した住宅地で、現在この名称は用いられておらず、地名も「霞ヶ関北」になっている。商店街もその頃に作られたもので、創業40年そこそこの商店ばかりという事になるだろう。
「角栄青果」の看板が掲げられた八百屋まであるのだが、この「角栄」の名称の由来は当時のデベロッパー角栄建設から来ていて、この「角栄建設」の創業者が角田式美という実業家で、その社名は「角田が栄える」から来ている事が分かった。つまり田中角栄とは無関係なのだ。
これが人通りの多い駅前にある商店街ならば、どんどん新陳代謝が起きてつまらないチェーン店が入居しだして、川越駅前のクレアモールみたいな感じになるのだろうが、角栄商店街では殆ど店舗の入れ替わりがないので、商店街の店構えや看板なども古いままだ。
んで、こうした何の変哲も無い街の電器屋さんも今では懐かしい存在となりつつありますね…そりゃ家電量販店の方が面倒臭くないのだろうが、一度売ったものは売りっぱなしで、アフターケアが細やかではありません。街の電器屋があれば贔屓にしましょう。
まあ、でもやっぱり廃業した店は多く「貸店舗」の看板を掲げたまま放置されている飲食店の跡があったりする。不動産屋に物件情報が出ているので見たところお家賃もお手頃で、就職が不安定な外国人が店を開業するにはさぞかし都合が良さそうです。