東武東上線で東京の最果てにある板橋のベッドタウン「成増」を歩く (2010年)

板橋区

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板橋区のイメージが強い成増駅の南側一帯は実は練馬区旭町になっているのだが、この住宅地の一角にとっても恥ずかしい名前の中学校がある。

成増駅から川越街道の南側に入って徒歩5分程度の場所で現れる「豊渓中学校入口」の看板。豊かな渓と書いてホウケイ中学校である。

きっとここの学生はPANTERAの空耳のように「ホウケイの人ー!!」などと馬鹿にされるのかも知れない。なおさら年頃の中学生ならきっとムケてるかそうでないか気になりだすような時期である。

しかし敢えてこの名前を貫いているのは何か理由があるのだろうか。

豊渓中学校入口交差点から中学校の敷地までは急な坂道を下ったり登ったりすることになる。ここも武蔵野台地特有の谷戸という地形が街に高低差を生み出している場所のようである。

駅方向から坂道をずんずん下って行く。中学校の名前に付けられるように、かつてはこの地に豊かな渓があったのだろうか。

ちなみに光が丘団地西側にも「豊渓小学校」があるが、少し離れているために学区が違っていて、小中ともに「ホウケイの人」となる事は無いようである。豊渓中学校の入学対象者は練馬区旭町のほぼ全域である。

坂を下ったばかりだが、中学校へは再度坂道を登る羽目になる。典型的な谷戸地形だ。

坂を登りきった先に豊渓中学校の校舎が見えてくる。中学校自体は生徒数160人程度しかいない小規模な学校で、そう考えると豊渓中学校出身者は結構レアな存在かも知れない。

豊渓という名前が付いているのはこの近辺でも小学校と中学校にしかない。隣の公園も「上練馬公園」だし、どこにも豊渓の名はない。

プレートの文字が黄金色に光る豊渓中学校校門の銘板。

金メッキが剥がれてムケているということはありませんでした。さすが豊渓。

豊渓中学校の校庭ではサッカーの部活動に励む生徒の姿があった。もちろん彼らは「豊渓の子」と言う事になるだろう。そして社会に出てからも行く先々で「豊渓の人」として活躍していくのである。

豊渓である事を非難されたり恥ずかしがったりする事はないのである。恥垢が溜まりやすいのは確かなので毎日こまめに洗う事を欠かさなければ別段不便ではない。

豊渓中学校のグラウンド脇に一軒の文房具屋がある。

その名も「ホウケイ堂」。文具屋だけではなく駄菓子屋も兼ねているようで、近隣の子どもたちの溜まり場となっているようである。

我々が取材中も近所の子供が群がって「ホウケイ堂行かない?」だなんて話をしているのだ。きっと彼らは「ホウケイ」の意味を知らない無邪気な子供なのだろう。

しかし残念ながらホウケイ堂は定休日だったらしくシャッターが閉まったままになっていた。

結局最後まで「豊渓」の地名の由来について現地で詳しく知る事は出来なかった。起伏の激しい谷戸地形が豊かな渓という表現に繋がったのか、という推測くらいしか出来ない。というわけで、昔の地域事情に詳しい方からの情報をお待ちしています。

おまけ

そういえば、豊渓中学校の制服を取り扱う洋品店が成増の商店街にあった。

豊渓中学校の制服は比較的大人しいデザインである。特に男子制服は昔ながらの真っ黒な詰襟。近年はくだけたブレザータイプの制服が増えている中で、やはりホウケイの制服は一皮剥けていなかった。

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