寿町と並んで地味にドヤ街が形成されている、横浜市南区中村町界隈。
中村川沿いの道を歩くと簡易宿泊所がずらりと並ぶ独特の景観が見られる。
規模は寿町には及ばないが、中村町もまた横浜開港の歴史とともにあり続ける労働者の町だった。江戸時代に始まる吉田新田の開発によって集められた底辺の港湾労働者が暮らしていたという。戦後にドヤ街となった寿町と比べると、寄せ場の歴史としてはずっと古い事になるだろう。
ドヤ街の目の前を流れる中村川や、中村橋北側から分岐して根岸方面に注ぐ堀割川も、明治時代の間に全国から集まった労働者によって作られたものだ。
外国人居留地を堀で囲んで出島状態にする為、船を通して水運の便を良くする為、吉田新田の沼地を埋め立てる用土を確保する為などと色々な目的があったわけだ。
中村町に残る簡易宿泊所。看板にも「簡宿」とはっきり書かれているようにどう見てもドヤといった佇まいのものが多い。宿の名前も東海荘、みよし荘と総じて地味な雰囲気だ。
「みよし荘」の前には歩道に面してコインランドリーが置かれている。ドラム音が唸る乾燥機の中には誰かの洗濯物が中で忙しく回転しているのが見えた。
最近ではバックパッカー観光客の受け入れも始まっている寿町界隈とは異なり、中村町のドヤ街はそんなウエルカム感が皆無。行き場もない独居老人がひっそり暮らしているような宿ばかりが見受けられる。
ヴィレッジカツマタという簡易宿泊所は他と比べると比較的小奇麗な感じの建物である。
この簡易宿泊所がある裏側の路地に回ると、同じ系列の宿がもう一棟ある。様子を見ていると宿の住人ではなさそうな若いスタッフが建物の間を忙しなく行き来している。どうやら介護サービスの一環のようだ。もはやドヤというよりも福祉アパート状態になっている。
3階建ての年季が入ったトタン張りの南山荘。他の簡易宿泊所と同様、ここも外部の宿泊客を受け入れる雰囲気は微塵も感じられない。
建物側面を見るとワンフロアを縦割りした天井の低い二重構造が見られる典型的な特徴がある。しかし生活感もなく、本当に人が住んでいるのか怪しい。
中村川沿いを歩いていても、すれ違うのは独居老人ばかり、乱雑に置かれた生ゴミが街中に饐えた臭いを放っている。さすがドヤ街ならではの殺伐仕様。街に住む人々の心の内を無意識に示しているかのようだ。
そんな下町バリバリな中村町界隈だが、そこには一般市民の生活も同時に存在している。広々とした児童公園が置かれてはいるが、そこで遊ぶ子供の姿はない。しかしドヤ街だからといってもホームレスが小屋掛けしているような様子もなく、寿町のような風景をイメージすると若干違っている。
殊の外飲食店やスナック、様々な商店が多い土地だが、総じて古ぼけてどうにもならない状態だ。昔はもっと活気があったのかも知れない。
潰れたレンタルビデオ屋と思われる店の跡にも、土木工事作業員を募集する建設会社の求人看板がさりげなく貼られているのだ。やはり中村町はドヤ街であることを実感させられる。
その向かいは労働者を相手にした立ち飲み居酒屋だ。酒や煙草の自販機も置かれているがなぜか駄菓子屋みたくゲーム機まで置いてある。どこのドヤ街でも酒はオッサン達の命の水。中村町界隈にはこうした立ち飲み居酒屋が数軒残っている。