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江東区東陽町に吉原に次ぐ東京第二の遊郭があった…赤線地帯・洲崎パラダイスの街「深川洲崎弁天町」を歩く 

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洲崎遊郭は郭の三方を運河に、一方を海に囲まれた出島状態の土地で、運河の存在が外界との境目であった。しかし現在はその北側と東側が埋め立てられていて、洲崎パラダイスの玄関口だった洲崎橋にやってくると、橋の跡地を示す石碑が置かれている。

かつてこの橋の下には洲崎川があったが、それも昭和57(1982)年に埋め立てられて現在は緑道公園として使われている。永代通りの東陽三丁目交差点も元は洲崎橋交差点で、洲崎の地名は郵便局や金融機関の支店名に残ってはいるものの、徐々に姿を消そうとしているようだ。

洲崎川緑道公園の石碑。ここに公園の由来が書かれてはいるが、肝心の洲崎遊郭の存在に付いては全く書かれていない。消えゆく遊郭は例外なく歴史の闇に葬り去られる運命にあるのだ。地名も東陽一丁目に変わっているし。

緑道公園の下は自転車や歩行者が通れる通路になっていて、大門通りの地下を走っている。よく見るとホームレスが住んでいるのか荷物が置かれていた。

かつて遊郭と外界を隔てていた洲崎川は当時の風情を留めていない。公園の植樹の裏側に昔の川沿いのバラック酒場が並ぶ様子が微かに見えるだけである。

通りがかる人の姿もまばらな大門通り下の地下通路はホームレスの生活空間となっていた。控えめに家財道具と書籍類が置かれている。「住人」はどこかに出掛けたのかして居ない。

川を埋立てて作った公園ということもあって、ひたすら細長い緑道が続いているだけである。

木場駅の方向からやってくるとこの緑道公園を介して来た方が近道になるが、人通りも少なく子供の遊ぶ姿もあまりない。

しかし、緑道公園の路上を見ると、大量の未投票馬券が捨てられていたり…

やたらめったらキノコが繁殖しまくっていたりとなかなかカオスな光景を見せている。

緑道公園から洲崎川の南側、すなわち郭の内側へは十数段の下り階段を降りる。洲崎遊郭の土地がやや低い場所にある為だ。自転車で通りがかるには不便な構造である。

今でも洲崎の土地を歩いてみると、どこを見ても街の北側と東側には階段やコンクリート壁で遮られているのだ。こうした土地の特徴から洲崎遊郭の痕跡が窺える。

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東京DEEP案内の管理人です。2008年の開設以来、首都圏一都三県の街歩き情報を淡々と記録し続けております。いわゆる日陰者的物件、観光地にもならない場所、ちょっとアレな地域を見物・考察する事を趣味としております。2017年6月15日、単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を発売。
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