もう一つの横浜ドヤ街「中村町」 (1) 三吉橋通

下町全開の横浜橋通商店街のアーケードを抜けた先にも「三吉橋通商店会」が続いているが、その先の中村川を渡った向こう側の中村町は、寿町と同じくドヤ街である。寿町と比べると存在感に欠けるが、住宅街に紛れて簡易宿泊所が何軒も連なっていて、やはり独特の雰囲気がある。

いつも買い物客でごったがえす横浜橋通商店街、イセザキモールや地下鉄阪東橋駅がある側と逆の出口に出てきた。よこはまばし入口交差点を渡って中村町方面へ歩いて行く事にする。



その向こうは三吉橋通商店会。全長30メートルくらいしかない小さな商店街で、横浜橋通商店街に連続している。しかし潰れてシャッターが降りたままの店もあって雰囲気はやさぐれ気味。

横浜橋通でも充分オッサン臭かったが、こっち側に来ると街を歩く人々の平均年齢も急上昇してくる。言わずもがな、川向こうの中村町は簡易宿泊所が立ち並ぶ福祉の街なのである。

レトロな果物屋の建物もシャッターが閉まっていて営業していなかった。お世辞にも活気があるとは言えない。先程までの横浜橋通の様子とはまるで違っている。

まともな飲食店も古びた中華料理屋がぽつんとある程度で寂しい限りである。さすが横浜だけあって、こんな街の小さな中華料理屋にもローカル麺の「サンマーメン」がちゃんとメニューにある。

商店街の終点は目新しいマンションに建て変わった大衆演劇「三吉演芸場」が建っている。
平成の世において大衆演劇というジャンルも絶滅危惧種にあたるような存在である。大阪の西成もそうだが、ドヤ街・貧民街に限ってこうした昔ながらの大衆演劇場が生き残っているのは興味深い。

そこから先は中村川に掛かる三吉橋を渡る。頭上を高速道路の高架橋が走り太陽の光が当たらない日陰の川となった中村川。元々は開港後の横浜で外国人居留地がある地域を出島状態に隔離するために人工的に掘られた川だという。
この下流は横浜最大のドヤ街・寿町になるわけだが、ドヤ街が寿町だけではないという光景をこの先目にすることになる。

中村町に入ると、またもう一段階寂れ具合が増した地方の田舎の商店街のようなやれた風情を見せる「中村町三吉橋通り」が続いている。

ドヤ街中村町の商店街だけあって、個人経営の居酒屋がちらほら見かけられる程度で、普通の商店だったと思われる店の建物は軒並み廃墟になっていたりとかなり見た目が寂しい事になっている。

そのまま商店街を行くと八幡町通り商店街に続き、山手に入っていく。相変わらずどうしようもない寂れた光景が印象的である。

商店街の脇を入ると中村町の街並みが現れる。普通の下町かと思うと少々事情が違うような、独居老人と思しきオッサンばかりがふらふらと歩き回る路地に隠れているのは簡易宿泊所の看板。

路地を入り込んでみると、長年放置されたようなトタン住宅がいくつも見かけられる。2階建ての古びた民家は、1階だけを化粧をしているかのように青いトタンで覆われている。

青トタンに保護色になっているような形で、壊れたおでんかラーメンの屋台が放置されていた。

もう役目を果たし終えたのか、二度と動く事のなさそうな屋台を我が物顔で占拠するのは野良猫だった。

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