JR根岸駅から歩いて高台の上に登ると、その上には根岸森林公園がある。今では普通の都市公園の一つになっているが、元々は横浜開港の時代、1866年に作られた日本初の洋式競馬場である「横浜競馬場(根岸競馬場)」があった場所だった。
根岸競馬場は戦時中に海軍に接収された後、戦後に米軍に接収されゴルフ場などに使われていたが、1977年、一部が接収解除となった後に現在の根岸森林公園になっている。
米軍は現在も根岸森林公園に隣接する一部の土地を使用していて、横須賀のアメリカ海軍向けの住宅地区として現役で使われているのだ。毎年春頃には他の米軍施設と同じようにフレンドシップデーが開催され一般に敷地内が開放されるが、その日以外は入る事が出来ない。
公園の周囲を歩き回ると、米軍に接収されてゴルフ場に使われていた当時の名残りかは知らぬが、どう見ても役に立っていない錆びついた鉄扉とか、それっぽいものが公園各所に残っている。
どう見ても日本のそれではない、米軍基地仕様の消火栓が残っていたりするのも独特である。そういえば朝霞のキャンプドレイク跡地にも似たような形の消火栓があったな。
おまけに公園の傍らには米軍住宅訪問者専用の駐車場もあって、このような注意書き看板が掲げられている。
そして駐車場には、米軍関係者の私有車である事を示す「Yナンバー」な車がいっぱい止まっている。この「Y」は「Yokohama」のYだ。米軍関係者車両を扱う制度が横浜で始まった事に由来する。車庫証明不要、税金免除など色々と優遇されている。Yナンバー車は同じく米軍基地の多い沖縄でも多数走っている。
そんなリアルな治外法権の象徴である米軍施設のフェンスを目の前にフツーの分譲住宅が立ち並ぶ路地。普通に子供が遊んでいたりしていたって平和な日常が繰り広げられているが、フェンス一枚隔てるとそこはもうアメリカだ。
その正面の突き当たりに仰々しいレトロ建築が唐突に現れる。旧横浜競馬場(根岸競馬場)の一等観覧席跡の建物が一部残っているのだ。高台の住宅地の傍らで唯一異様な風貌を残すその姿は、初めて見るとインパクトがデカすぎる。
どん詰まりになった住宅地の路地の先から階段を降りて、一等観覧席の建物の正面に回る事にする。
一等観覧席の遺構を正面から見る。まるで中世の古城のようにも見えるそのモダンかつ重厚なコンクリート建築は関東大震災後の昭和5(1930)年にアメリカ人建築家J・H・モーガンの設計で作られている。
戦時中に突然海軍がここを接収したのは、高台の上にあって横須賀軍港が一望出来て国防上問題があったため、また海軍の通信所としても適していた為ともいう。今では一等観覧席側は米軍施設になっていて見る事すらかなわないが、反対側は広場になっていて、ランドマークタワーなどが拝める。
傍らには根岸競馬場の概要や全体図、一等観覧席、二等観覧席の写真や設計図などが多数展示されている。
ちなみに二等観覧席は1988年に解体されていて存在しない。
根岸競馬場跡は戦後からずっと廃墟だった訳だが、1983年にはYMOが散開ライブのセットのモデルとして、またPV撮影(A Y.M.O. FILM PROPAGANDA)を行った場所として、ファンにはよく知られている。
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