大宮駅東口に眠る謎の地下街「大門地下道」。そこは既に地下街としての機能をほぼ失い、通路は倉庫同然に使われていた。
通ってきた地下街の通路を振り返ると、こう見えても結構広い事が分かる。昭和35(1960)年に大宮駅前の中心市街地を襲った大火事がきっかけで、地元の商店主と行政が中心となって作られたデパートがこのビルの前身だが、デパートといった華やかな言葉とは真逆の暗く冷たい空間である。まるで病院の霊安室に続く通路みたいな。
こんな気味の悪い場所によく似合う、気味の悪い真っ黒なマネキンが捨てられている。心臓の弱い人にはちょっとしたお化け屋敷状態だ。
他にも店が使わなくなったような陳列棚などが乱雑に置かれている。
通路の突き当たりを右に折れると、その向こうには地上に登る階段が続いている。ここは1階店舗の従業員が休憩スペースに使っている事もあるらしく、頭上の位置には殺虫灯が付けられていた。
そしてちょうど足がつまずきそうな場所に謎のふくろうのオブジェが置かれている。
地上への階段を見上げると、その先は仕切り板で塞がれていた。秋葉原とかにあるエロビデオショップのラムタラが入居しているのだ。漫画喫茶マンボーといいサラ金といい微妙な店舗構成だ。
どうもさっきから微妙に臭いと思っていたが、この汚水配管が臭いの元だったりして。充分あり得る。
もう二度と開かないであろう地下街の店舗のシャッター。自由軒というのは恐らくレストランだろうか。何屋なのか不明だが、名物カレーで有名な大阪難波千日前の自由軒とは、多分関係はない。
四つ葉のクローバーがシンボルマークの「レインボー」と書かれた店、ここも何屋か分からない。虹が出ているどころか真っ黒な埃で汚れるがまま放置されている。
先程の「メガネのオガワ」の先からも地下通路が伸びている。ちょうど旧中仙道の下を潜り抜ける形になっているのだ。道路の部分はなぜか階段が数段低くなっている。
今ではどこの街でも見かける地下連絡通路だが、片側三車線以上の道路ならまだしも、旧中仙道は片側一車線の道路でしかなく、この地下道を使うメリットは全然無いとばかりに、誰も通る事もないのが悲しいところ。
これでも建設された当時はようやく大宮の街も敗戦の傷跡から立ち直って都会の仲間入りをしたのだと大宮市民は胸を張って居たのかも知れない。それが今では何でも東京に流れてしまい地元にはDQN繁華街しか残っていないという罠。
地上に上がると、あの地下道と地下街は一体何だったのかと思うほど呆気無い日常の光景が繰り広げられていた。往来する人々は地下道への入口で歩道が狭められているのを鬱陶しいとすら感じるかのごとく、忙しそうに歩いている。
参考記事
昭和の遺構?大宮駅東口の大門地下道探索
時の止まった地下街~大宮・大一ビル~
■昭和40年代の大宮市を覚えてる方■ その2


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