東京23区の最南端、多摩川の河川敷にあるホームレス村。ここでは電気ガス水道もない中で200人もの人々の暮らしが営まれている。やむなく住んでいる者も居れば、どう見ても自由な暮らしをエンジョイしてそうな者もいる。ホームレス十人十色。その入口には、猫が座っていた。
2007年9月、この河川敷のホームレス村が台風直撃による大雨で増水し、小屋が流されるなど壊滅的な被害を受けている訳だが(→詳細)、結局この場所に再びホームレス村が建っているのだ。やはり河川敷は住む場所ではない。しかし彼らには他に行き場がないと言うことか。
ホームレス村の外周はとても広く、外周部分からは中の構造を伺うことは不可能だ。ここの河川敷を歩いているとまるでアフリカの草原にでも迷い込んだ気分になる。さしずめ住人は日本国内でも未知の新しい部族かも知れない。
日常の世界と紙一枚隔てて、全くの別世界で生きる人々の日常がある。この広々とした河川敷を眺めているだけでは想像できない。
そんな謎のホームレス村だが、実は六郷橋の上から簡単に見られる。
この道が「村」の入口でありメインストリートなのだろう。未舗装の道路がまるで世界ウルルン滞在記の気分だ。
“多摩川の河川敷でェ~
自給自足のホームレスにィ~
出会ったァ~”
やはり内部には色々な目的で作られた建造物が並んでいる。何か商売でもやっているのか?というくらいでかい建物もあるのだが、そもそも不法占拠のため土地代が要らないのだから随分楽な商売に思えるのだけど。
河川敷の「村」は遠目に見るとアフリカのサバンナで少数部族が暮らしているかのような趣を見せている。そんじょそこらのホームレス村ではないと改めて思うのだが、それもそのはず、この場所でどれだけ長い年数、人が住み続けているのか、こういう記事があるくらいだからな。
【東京】多摩川河川敷で住民登録40年…男性、バラックも”住めば都”
当該記事にある場所と同一かどうかであるかは不明だが、行政にとっては相当長期間放置されているのは間違いないようだ。
ちなみに川向かいの神奈川県川崎市幸区戸手四丁目の多摩川河川敷にも、在日朝鮮人によるバラック村が最近まで残っていたのだが、高層マンションの建設もあって近年立ち退きが進んでおり近いうちに完全に無くなる見込みらしい。
いやあ、東京も色々こういう「戦後のドサクサ」が続いてるんですねえ。