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迫力の千本鳥居、夥しい数のミニ鳥居が奉納されててヤバイ「穴守稲荷神社」参拝記

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大田区 穴守稲荷

穴守稲荷神社の境内に入ると、今でも地元住民を中心に信仰が厚く年老いた参拝者が後を絶たない。戦後、羽田沖がGHQに接収されて神社自体も取り壊されたが、今の場所に仮社殿を建て、昭和31(1956)年に本殿が再建されて現在に至る。昔は行楽地で賑わいもあったそうだが、現在の羽田はただの通過地点でしかなく、街も寂れるに任せるような状態だ。

大田区 穴守稲荷

境内右手には神楽殿。普段は物静かな神社だが、8月終わりの献灯祭、11月3日の例大祭には参拝者で賑わう。

大田区 穴守稲荷

境内左手に本殿、その右側には千本鳥居と奥の宮、築山がある。

大田区 穴守稲荷

戦前までは稲荷信仰が一種のブームになっていたらしく、移転する前の穴守稲荷神社にも数万本もの鳥居が寄進され、伏見稲荷大社に引けを取らない鳥居だらけの光景が見られたと言われる。

大田区 穴守稲荷

拝殿の前には大きな親子の狐像が置かれている。神社の成り立ちは江戸時代の文化年間に遡り、海が荒れて堤防が何度も決壊し洪水に苦しめられていた村人が稲荷神を祀った所、海が静まったと言われる。波で堤防に開けられる穴から村人を守る、これが穴守の地名の由来である。

大田区 穴守稲荷

奥の宮に続く千本鳥居は京都の伏見稲荷大社を彷彿とさせる迫力だ。

大田区 穴守稲荷

こういうのを見ると、ああお稲荷さんですねと思います。同じ大田区にたくさん住んでいる三色旗教団の方々はとても恐ろしくて通れないそうです。

大田区 穴守稲荷

鳥居の右側にも小さな祠がいくつか祀られている。その一つ「出世稲荷」。

大田区 穴守稲荷

その横に絵馬掛け場があった。通常の願掛けに加えて、やはり羽田空港に近いせいか航空関係者の絵馬がちらほらとある。お稲荷様に空の安全を願いに訪れる人もいる。

大田区 穴守稲荷

ひっそりと佇む奥の宮。すぐ裏手は環八通りにあるため車が通る音が絶えない。地元民だけではなく羽田空港の関係者も参拝に訪れる。羽田空港の祟りの鳥居伝説でも知られるように、神社と空港は切っても切り離せない存在なのである。

大田区 穴守稲荷

奥の宮の内部には参拝者が置いた無数のミニ鳥居が山積みになっている。戦前まで続いた信仰心の面影がこんな所に残っているかのようだ。

大田区 穴守稲荷

その反対側を見ると、少し暗くて見づらいのだが、千羽鶴が吊るされた奥の棚の上に無数のミニ狐が置かれているのが見える。今も絶え間なく訪れる参拝者によって奉納される鳥居と狐の数は増えているようだ。

大田区 穴守稲荷

奥の宮の右側にももう一つ祠があった。参拝者はこれら一つ一つの社にお参りをしていく。実に信心深い。

大田区 穴守稲荷

奥の宮から左手に抜けると人工の築山がある。その手前にも祠が。

大田区 穴守稲荷

この築山は関東の神社ではよく見かける「富士塚」かと思ったのだが…関西とは違い富士山などシンボル的な山が多い関東地方。山岳信仰が盛んな土地柄である。

大田区 穴守稲荷

その頂上には御嶽神社があった。富士山を信仰する浅間神社ではなく御嶽神社を祀っているのは、同じ大田区にある御嶽神社との関わりからだろうか…厳密には「富士塚」とは言わないのだろうが、かつての関東地方における山岳信仰の深さを思い知る事ができよう。


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東京DEEP案内の管理人です。2008年の開設以来、首都圏一都三県の街歩き情報を淡々と記録し続けております。いわゆる日陰者的物件、観光地にもならない場所、ちょっとアレな地域を見物・考察する事を趣味としております。2017年6月15日、単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を発売。
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