我々は東京の西の外れにある街、八王子市のそのまた郊外にある、とある地域を見る為にやってきた。JR八王子駅から北西方向に5キロ程離れた「泉町」という場所だ。一見何があるか分からない田舎町に思えるが、明治以降の日本における自由民権運動と身分制度による差別の歴史に関わりがある場所だと聞いた。
八王子市の奥地にはバスしかまともな足がない場所にいくつも団地が形成されていて、未だに足を運べていない場所が多いのだが、泉町団地もそうした団地の一つ。八王子市内を流れる北浅川沿いにあり、付近の住宅地は公明党ポスターやら三色旗を飾った家ばかりというのが場所柄だ。
陣馬街道の途中で脇道に逸れてしばらく行った先にこの泉町という地区があるが、団地の手前でちらほら飲食店街や商店が並んでいるのが見える程度で、ここまでの印象はこれといったものもない郊外の住宅地でしかない。
団地や周辺住民のための小さな商店街といった感じのものだが、今となっては車移動が主流で、住民はみんなショッピングモールとかに行ったりするんでしょう。中央線のない狭い道を時折運転の荒いトラックやワゴン車などがビュンビュン走ってくるので、生命の危険を感じる。
これだけ三色旗だらけなのも、やっぱり八王子に創価大学やら関係施設がいっぱいある事と関係あるのかなどと考えてしまいがちになる訳ですが、今回訪問する団地はそっち系のネタでは無いと多分思います。
あまりにこの手の貼り紙が多いので「そうかそうか」と頷くのも面倒になってきたのでいい加減端折ります。だって八王子だもの、しょうがない。
そんな泉町に入ると、このような八王子の外れの街なのに何故か立派なキリスト教会がそびえている。「カトリック泉町教会」…その建物の玄関上には「1877」「1927」の西暦が刻まれており、ただならぬ歴史を感じさせる。1877年とはすなわち明治10年であり、その当時の当地の地名は東京府ではなく神奈川県南多摩郡下壱分方村(後の元八王子村)だった。
この八王子の外れの僻地にキリスト教会が出来たのは明治の初めの事。被差別部落であった当地で生まれた青年・山上卓樹が開国の地横浜でカトリックに入信、恩師・テストヴィド神父の命を受けこの地で教会を建設。「神の前では皆平等」の教えを広め、封建的身分社会の中で被差別に苦しんでいた村人達は次々にカトリックに改宗していったという。山上はカトリックの伝道師であり、また自由民権活動家でもあった。
カトリック泉町教会のそばには当時の自由民権運動を称える「先覚之碑」も建立されている。山上卓樹他、元八王子村内で自由民権運動に身を投じた運動家8名の氏名が記されているのだ。当時の西多摩では自由民権運動が盛んに行われてきたという歴史もあり、西多摩の神奈川県から東京府への移管もそうした運動への封じ込めを狙っての事だったとか何とか。
そうした因縁めいた歴史の末にある八王子市泉町には、泉町団地という比較的大きな団地が広がっている。昭和36(1961)年から整備された木造平屋建て8棟、長屋の平屋建て28棟と昭和48(1973)年に整備された鉄筋コンクリート1棟で構成された団地で、古い平屋建ての住居棟は老朽化もあってかなり空き家が目立っていた。
山上卓樹の時代の泉町はどのような場所だったか、明治時代の遠い昔を想像しても分からないものだが、こうした団地が北浅川沿いにびっしりへばりついている状況を見ると、少しは想像が効くものだ。
泉町団地にはこのような平屋建て棟が中心で、この風景だけを見ているとまるで北海道の炭鉱住宅を彷彿とさせる光景だが、これでもまだ一応「東京都」なのでお間違えないように。
古いタイプの木造棟は1棟がそのまま一室となっていて、団地というよりは戸建て感覚で使えるものだが、昭和36年築とくればそのボロ具合はかなりのもの。奥にもう一棟あるが、外壁や屋根がかなり修繕されていて手前のものと見た目の違いが顕著だ。
神の前では皆平等とカトリックの教えを広め、差別に喘ぐ貧困層を救ったのが当時の山上卓樹であったとしたら、世代を跨いだ現在では行政による団地の整備と、その団地を中心に「布教」をしている三色旗教団含めた今どきの諸々の新興宗教団体が救いの手か。
以前はこのへんにも数多くの木造棟が並んでいたものと思しき団地内の空き地。大量のコスモスが咲き乱れていて団地の情景に彩りを添えている。
しかしなんだよこの「ネコの毒殺は犯罪です」の注意書きは…人権を声高に主張するプロ市民はいても、猫にだって生きる権利はあると「猫権」を主張する人はいないんでしょうか…