沖縄タウンとして街の再生を図る商店街「和泉明店街」を訪れたらもう一つ見逃してはならない場所がある。それは商店街の脇から東へ伸びる一直線の路地。その先は環七泉南交差点、さらに西新宿副都心へ繋がる旧玉川水道道路(都道431号角筈和泉町線)となる。
商店街を外れると程なく道の両脇にはびっしりとバラック群が並ぶ光景を拝む事ができる。最初はここが沖縄タウンなのかと勘違いしそうになったがもちろんそういう訳ではなかった。
航空地図を見ても明らかにこの並びの道だけに残る不思議な土地である。一体どういう経緯でこんな場所が残っているのだろうか。それは西新宿副都心とこの場所を結ぶ道が「水道道路」と呼ばれている事にヒントがある。
その歴史を辿るとその昔、西新宿副都心が淀橋浄水場だった頃に遡る。現在の都庁などの超高層建築群からは想像も付かないが、昔は広大な浄水場の敷地だったのだ。明治31年から操業を開始した当初、淀橋浄水場とおよそ4キロ離れた和泉給水所とを結んでいた旧玉川上水新水路の名残りがこの道路なのだ。
そして旧玉川上水新水路の跡を埋め立てて作られた「水道道路」の終端が、このバラック群にあたる。
改めて航空地図を見ると、このバラック群から和泉給水所までの直線部分に旧玉川上水新水路の痕跡を確認できるはずだ。この旧玉川上水新水路は関東大震災で被災したため壊れて使われなくなり、現在は大半が道路用地に変わっているということだ。
このバラック群が、震災か戦災のどちらのドサクサなのか経緯は詳しく分からないが、2度にわたる都市崩壊の憂き目にあった大都会東京の裏の一面をまざまざと見せつける場所であることには違いない。
どの民家も個性的なトタン張りになっているのが素敵でたまらないが、さすがに老朽化著しいのかして空き家になっている民家も多い。
家と家の間の細い隙間に目をやると、相当年季の入った井戸が設置されているのが見えた。おそらく今でも使われているのだろう。この場所だけが完全にタイムスリップしている。
バラック群は表から見ても圧巻だが裏から見ても凄い。至る所継ぎ接ぎだらけで何かの芸術作品と見まごうような家屋を見る事もある。建築基準法だの細かいルールが無かった頃の次元だ。
全うな住宅地として用意されていない土地に勝手にバラックを建てたという経緯からだろうか、ここいらの民家は揃いも揃ってプロパンガスを使用している。
バラック建築群と裏道の間にはわずかながら段差がある。旧玉川上水新水路の名残りだろうか。
通ってきた裏道を見ると環七からひたすらまっすぐ道が伸びているのが見える。そこでまたしてもプロパンガスのボンベを発見する。生活臭が強い路地だが住人がひょっこり出てくる事もなかった。
裏路地の終端はさらに怪しさを増していた。このまま行くと民家に突き当たりそうだったので引き返す事にした。
というわけで、杉並区和泉はこんな凄まじい下町なのだが、環七沿いにはマイクロソフト日本法人・代田橋オフィスのビルがででーんと建っているのだ。そのギャップに笑える。