2011年3月11日午後2時46分に三陸沖で発生したM9.0の巨大地震は日本において社会情勢も人の心も街の姿も何もかもを変えてしまった。シャレにならない天災の前に平和な暮らしは一瞬で崩れ去った訳だが、それでも日々は続いていく。
東京では津波の直撃こそは受けなかったが、余震や計画停電、そして自粛ムードによる不況といった二次的な災害とは別に放射能という未知の脅威に人々は怯え、照明が落とされた街は暗く空気はピリピリしている。街が元通りになるには、まだまだ長い年月を必要とするだろう。まさに戦後最悪の危機。
東京近郊では建物の倒壊は殆どなかったと言われていたが、後に浦安市が液状化現象で酷い事になっているという話が伝わった。岩手・宮城・福島三県の凄まじい被害が連日報道される一方で見過ごされた形だ。
埋立地は地震によって液状化現象が引き起こされるのは先の阪神大震災などの被害状況でよく知られている。それが市の面積の4分の3が埋立地という浦安市を襲ったのだ。
山本周五郎の「青べか物語」で”沖の百万坪”と形容された広大な干拓地、良質な漁場だった土地をすべからく埋立て作られた新浦安・舞浜のニュータウンは、比較的建物被害のなかった東京近郊においては全く異なる状況となっていた。
京葉線新浦安駅を降りると、駅前からどえらい事になってしまっている。液状化で大きく隙間の開いたペデストリアンデッキ、傾いて浮き上がったエレベーター、所々剥がれている床のタイルにはいくつも細かい段差が出来ている。大量に噴き出された泥水が乾き、街中に砂嵐を撒き散らしている。そこに「マリナーゼ」といった浮ついた言葉は似合わない。
新浦安住みのマリナーゼはウメタテーゼ、そしてドロヌマーゼへと変貌したのである。富裕層が億単位で買った高級マンションが立ち並ぶこの街は、日本最悪の液状化現象に見舞われてしまった。
当然不動産価値の暴落は避けられず、リスクヘッジのできない富裕層をやっかみ半分に嘲笑うのは2ちゃんねらーといった形だが、上下水道が長期間断水してしまい、今でも住民の中にはタンクで水を運んだり糞便を新聞紙の上でいたしてゴミ袋に丸めて捨てなければならないなど生活の不便さはとても冗談で済ませられるレベルではない。
地震の破壊力は液状化現象によってさらに増幅される。ペデストリアンデッキと地面の間は地震によってプリンのように大きく地面が振れて、ショッピングモールの壁に大きな亀裂を走らせている。
ペデストリアンデッキと地面の間に出来た段差を埋めるために急ごしらえで舗装が行われた上を住民は行き来する。京葉線は余震や強風が起こる度に止まり、今でも普段どおりの通勤通学がしづらい。
まだまだ新築なはずの新浦安駅前プラザ「マーレ」の建物も被災のため全面封鎖。入口は大きく段差が出来てしまっている。建物の周りの土地が液状化現象で地盤沈下したからだろう。
建物そのものは丈夫なので倒壊したりといった事はないようだが、地面がプリンになってしまってはどうしようもない。一軒家など小規模な建物の場合は家自体が傾いて使い物にならなくなった物件も非常に多い。
中でもエレベーターの浮き上がり方が半端ない。子供の膝上くらいの高さまで段差が出来てしまっていて、さらにエレベーター自体も大きく傾いていた。当然使用禁止だ。
どう見ても50センチくらいの段差がある。さらにタイルや点字プロックが隙間に落下している。どうやって修理させるのだろうか。
横から見たらこんな感じ。街中がこんな状態になっていると思うと浦安市の被災状況は他とは全く別次元であることが容易に想像できよう。今回の液状化現象による被害では浦安市域の75%が該当し、被害総額は約734億円と推計されている。千葉県では津波被害を受けた旭市などと同じ「激甚災害」の対象地域に含まれた。
浦安市内を走る「東京ベイシティバス」の車両は液状化がもたらした泥と砂埃を被り激しく汚れていた。これが川向かいの江戸川区葛西あたりでもここまで酷くないので、現地に行かなければとてもこの酷い状況は実感できないはずだ。
京葉線新浦安駅前からやなぎ通りに従い海沿いまで歩きながら液状化被害の様子を観察する事にした。厳密には東西線浦安駅前から歩いてきた訳だが、湾岸道路の手前までは殆ど被害がなく、新浦安の惨状と比べると嘘みたいに違う。
京葉線高架下のショッピングモール「アトレ」の入口には大量の土嚢が積まれていた。ここも同様に地盤沈下を受けて応急処置が施されている。
とりわけ土嚢が高く積まれている箇所は、傾いた外灯を囲んでいた。市内各所ではこのように外灯や電柱、バス停や立て看板などが大きく傾いていて、時折ブッ倒れてるものまである。見るからに危険だ。
容赦なく噴き出された泥の塊が路上の至る所に散乱している。これでも震災から2週間後の3月25日の風景なのだ。まだまだ街は元通りには戻れない。
地盤沈下のせいでアトレの出入口もいくつか封鎖されていた。駅前のペデストリアンデッキやエスカレーターなど日常生活の動線がいくつも使えなくなっていて大回りさせられる事も度々。
こちらも地盤沈下で出来た大きな地割れ。マンホールだけが浮き上がっている。
新浦安駅周辺では地盤沈下の形跡はどこでも見る事が出来る。この周辺の土地が埋め立てられたのは高度経済成長期真っ只中の昭和46(1971)年の事だ(→詳細)。都市開発は安全よりもスピードが優先された時代の話。地震による液状化現象など端から想像していなかっただろう。
さらに駅から海沿いに移動する。行き交う人々の多くは口元にがっちりマスクをつけている。なぜなら液状化現象で噴き出された泥が乾燥して砂埃になって大量に舞っているからだ。まるで砂漠の国である。
一軒家が立ち並ぶ住宅街も同様に被害に遭っているため、急ピッチで復旧工事が進められている。工事の音で街中が騒がしい。
新浦安駅からショッパーズプラザ、さらにその先の明海大学、イトーヨーカドー前までかなりの範囲で液状化現象が酷い。
床に敷き詰められたブロックが地割れが起きたように沈み込んでいる。地盤沈下の痕跡がまじまじと見られる。
ある所では歩道のタイルがひっぺ返されて再び舗装工事が行われている。道が全てガタガタになっているので改めて敷き直さなければならない。行き交う自転車は細かい段差に気を付けなければ転んでしまいかねない。
地面の凸凹が特に酷い明海大学前の交差点付近。車道側もガタガタになっているので通行する車も速度を落として走っているが、それでも大きく車体が揺れている。
液状化現象で大きく傾きながら半分以上泥の中に埋まってしまった車止め。
道端には絶えず大量の泥を掃除する地元の人々の姿がある。みんな街を元通りにするために必死である。だがそれでも一向に泥がなくならない。
車道側も大量の砂埃を巻き上げるので、常に車のボディは汚れているし、通行人もマスクをつけなければまともに呼吸すら出来ない。ファミリー世帯が多い新浦安では育児に不安を抱える市民が多い事だろう。