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【浅草新吉原】日本を代表する巨大遊郭の現在…「吉原」を歩く(2010年)【台東区千束四丁目】

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続いて揚屋町通りに入る。ここも江戸一通りのギラギラ感とは程遠い微妙にうすら寒い空気を漂わせる、殺風景な通りだ。

揚屋」とは江戸時代の吉原遊郭で高級遊女を呼び出す為に使われた料亭。そう聞くとさぞかし格式の高そうな雰囲気を思い浮かべるが、通りを見ても華やかさの欠片もなく実に淋しい限りである。

どの店も古びて手入れがなされていない雑居ビル然とした建物が並ぶ他、潰れて無くなった店も多いのだろうか、やけにコインパーキングが目立つ。

そしていよいよ目の前に現れたのがソープランドの廃墟建築である。何軒かの店舗が入っていた4階建てのビル。かなり長期間放置されているようで、外壁が崩落し始めたのか建物の半分に養生が施されていた。

吉原内にあって最も位の低い遊女屋は仲之町通りから最も遠い、両脇のお歯黒どぶに沿った「河岸見世」だった。西側の浄念河岸(西河岸)と東側の羅生門河岸には悪臭漂うお歯黒どぶを前に最下級の女郎屋が軒を連ねていたとされる。

その「お歯黒どぶ」は既に埋め立てられて存在しないが、今でも吉原の端であることに変わりなく、独特の陰鬱さを秘めている。

揚屋町通りを端まで歩くと、吉原との境目には盛り土の跡としてわずかな坂が残っている。この盛り土の付近に「お歯黒どぶ」の痕跡を漂わせる細い路地が続いているのだ。

まず揚屋町通りと江戸一通りの間の路地に入る。表通りと同じように店舗がずらりと軒を連ねているが、どこかしら場末感漂う明らかに古いタイプの店が主流となる。

大衆店の一つ「ブロードウェイ」の看板を見ると時間帯毎に「御入浴料金」がかなり事細かに明記されている。吉原でも昔とは違い財布の中身を気にせずパーっと遊ぶ粋な大人の男もかなり減ったようで。こうした感じの大衆店はたいてい総額2万円以下である。

続いて揚屋町通りと京一通りを結ぶ路地に入る。「セリアオペラ」「台北」と2軒の店舗の看板が続いているが、この店の真裏にもう一本怪しげな路地裏が隠れている。

片側はかつての郭と外界の境目だった「お歯黒どぶ」の跡だったのだろう。今でも刑務所の壁のように立ちはだかる細長い雑居ビルに阻まれた、日も当たらない薄暗い路地が印象的だ。

この路地を通るとちょうど「台北」の裏口。「激安料金にてご案内致します」の張り紙が。

この付近の店は大衆店が多い。かつての吉原遊郭においても、お歯黒どぶに沿って走る浄念河岸と羅生門河岸に連なる見世は「河岸見世」、また遊ぶ時間を切って花代をケチれる所から「切見世」とも呼ばれていた。これは今の時代で言う所の「ちょんの間」である。局女郎と呼ばれる最下級の遊女が10分やそこらで男どもの相手をしていたと言われる。

店の裏側を見ると「コンパニオン募集」の看板がどこにでも貼られている。容姿端麗未経験者歓迎。日本全国はもとより外国からもどこか訳ありな海千山千の女達が身体一つで生きていく為にこの街を訪れる。

路地を抜けると旧吉原遊郭の大門跡から見て一番奥を通る京町一丁目の「京一通り」に出る。ド派手な江戸町一丁目や角町に比べると京町付近はかなり普通のマンションだらけになってきて、ソープランド街の趣きは薄くなってくる。辛うじて残るのはかなり建物が老朽化した「ヴィナス」一軒のみ。

駐車場となった空き地の隅に残るどこかの店舗のコンパニオン・ボーイ募集の看板。系列店が半分くらい潰れたらしく白塗りされているのを見ると、この吉原ですら業界の生き残りが大変なのかという事を想像する。

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東京DEEP案内の管理人です。2008年の開設以来、首都圏一都三県の街歩き情報を淡々と記録し続けております。いわゆる日陰者的物件、観光地にもならない場所、ちょっとアレな地域を見物・考察する事を趣味としております。2017年6月15日、単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を発売。
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