この備え付けの消火器も果たして使い物になるのかどうかすら怪しい。例の管理会社による看板が置かれたのはどうも東日本大震災以降のようだが、特に関東ではこの出来事をきっかけに古い建物がどんどん解体されていく事になった。
まるっきりシャッター街と化してしまった「生ける廃墟」状態のゾンビモールな訳だが当時からあった店舗の看板は大方そのままの状態だった。食い物屋中心だが、お茶と海苔の店だとか寿司屋だとか手芸店、ゲームセンターのバンビはおもちゃ屋もやっていたし、結構業種は豊富だったようだ。
岩槻名店街に入居していた店舗、かつての店先に「移転のお知らせ」看板を掲示している。「平成十一年十一月末日」の日付…つまり15年前(1999年)に移転したという事である。住所も合併前の「岩槻市」が使われている。
そんな、客商売をやるには極限状況な廃墟商店街のど真ん中で、辛うじて現役で店を開けている「家庭料理花みづき」。昼間から営業中である。地元の常連に支えられなければとてもやっとれんでしょうな。
管理会社は「通行禁止」だと言っているものの、古くから存在する商店街はすっかり周辺住民の生活道路の一部となっている。中央通路を行き交う地元住民の姿も、どこか場末的オーラが漂っている。
あの有名な巨大廃墟モール「ピエリ守山」がものの5年で駄目になったのと比べると、築40年超を迎えたこの商店街が朽ちていく速度はかなり遅い訳だが、一階で開いている店舗はせいぜい二軒しかありませんでした。
一階中央通路を抜けるとこの通り。二階に昇る階段はこちら側にもある。だいたい、全長70メートルくらいといった所ですかね。それほど大きな建物という訳でもない。
しかしそこにある共同便所は閉鎖されたままである。つまりこの岩槻名店街内の飲食街で飲み食いしても用を足す場所がないのだ。これは店舗にとっては大きな痛手である。
「二階は憩いの散歩道」らしいんですが階段とかあちこち錆びまくりでボロ具合が際立つ。床を踏み抜いて落っこちても「自己責任」らしいですよ。
で、二階に上がったらのっけから「パブ ヘアピン」の看板がオツ過ぎておったまげる。蛇のように見える模様もよく見たら道路の中央線が描かれているし、ヘアピンカーブっちゅうことで良いですか。関東平野のど真ん中にあるさいたま市内にはこんな峠道無さそうですけどね。
二階部分は居酒屋やスナックが中心で片側のみに店舗が、もう片側は色褪せた山吹色のテントが日除けとなっていて、共用廊下全体をセピア色に染めている。
山吹色のテント群も一部はベリベリに破けて日除けの役割を果たしていないし、やはり半分以上の店舗はシャッターを下ろしたままである。
しかしよく見ると二階のスナック店舗も何軒かは図太く生き残っているようで、管理会社の嫌がらせに耐えながらどうにか毎日を過ごしている模様。まあ、公衆便所も閉鎖されたままだし、客のトイレはどこに行けばいいのかって感じですが。
二階通路を抜けて階段を降りるとこちらにも同様に管理会社と入居店舗の看板が仲良く二枚並んで置かれている。泥沼の様相を呈しているが、この看板に記された日付以降も特に大きな動きもないようだ。岩槻名店街がいつまで生き長らえるのか、今後も目が離せない。
<追記>岩槻名店街は2015年夏頃に解体され更地になりました。御臨終の証拠画像もUPしておきます。実は埼玉が誇る中華チェーン「日高屋」創業の地でもあり、大宮北銀座以前にこの岩槻名店街の二階で短い期間だけ「来来軒」の名称で営業していたそうです。