【川崎市】川崎臨海部・池上町に残る不法占拠地帯コリアタウン「群電前」探訪 

川崎市川崎区

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桜堀運河に面して「つり幸」という一軒の船宿を発見する。川崎港周辺で釣り船や屋形船を出している業者だ。早朝に来れば釣り客で賑わっている光景が見られるかも知れない。工業都市だけに海洋汚染のイメージが強い川崎港だが、意外にもこういう船宿が一応あるにはある。

「つり幸」前の桜堀運河に立てかけられた艀は年季が入っていて見た目に危なっかしい。既に何隻かは沖に出ているのかしてあまり船が置かれていなかった。他にも漁船やプレジャーボートがいくつか係留されているのを見かける。

しかし気になって仕方が無いのは堤防のコンクリート壁に黄色みがかったペンキで書かれた抗議文にも読める何らかの文章だ。殆ど剥げかかっていて読みづらい事この上ないが、「日本鋼管」「発生源」「撤去」などという言葉が辛うじて読める。

しかもそれは一箇所だけではなく、運河を取り巻く堤防全体にわたって書き込まれている。その文章は一貫して池上町の土地を所有する日本鋼管に対する抗議の言葉で埋め尽くされていた。よく読むとかなり電波な文言が並んでいていささか平穏ではない。

他にも日付のようなものも読めるが47年と書かれている。昭和にしても西暦にしても…たぶん昭和47年だろうが、かなり古い年代に書かれたものだと判断できる。

「公害発源を撤去せよ!」の一文…イケイケドンドンの高度経済成長期には川崎公害による健康被害が相次いだ。時には工場煤煙による黒い雨が降り注いだと言われる昔の池上町。本来の地主である日本鋼管とそこに不法占拠の形で住み着いた池上町民との確執を物語る。

よく観察すれば「つり幸」の前の堤防にもうっすら書かれているのが見える。さしずめ古代壁画のようでもある。

およそ35年以上も前に書かれたであろう抗議の落書きが未だにしっかり残っている事にこの地区の放置っぷりの凄まじさを垣間見る事ができよう。戦後日本の闇を象徴するかの場所である。

忘れ去られたように佇む桜堀運河の真上を通るのは貨物線の高架である。その向こうには首都高速。高速道路の上からでは全く見る事のできない、隠された風景。

そんな場所では過去に水死した子供もいるから近寄るなと、看板には書かれている。この看板の存在自体もちょっとしたリアルホラーである。この場所の雰囲気をうまく言葉に言い表せないが、とにかく強い負のエネルギーが集積している。

首都高と貨物線の高架下を跨いで、平成日本に残るスラム「池上町・群電前」を後にする。とてつもなく濃密な空間だった。もし今後また来る事があったら、道飛館で焼肉を食って、つり幸の釣り船に乗ってみようか。

貨物線を挟んだ向こうからも見える池上町のアパート群。やはり労働者の単身暮らしばかりなのだろうか。

で、こういう場所に限ってアレな本の切れ端がよく落ちていたりするもんだが一体どういうことだ。

最後の最後で再び「怖いゴミ捨て場」の電波看板が現れた。「不法投棄 小さなゴミ ポイ捨て 町の皆できれいにしています。もうやめようね!!


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