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東京を代表する巨大ドヤ街「山谷」の歩き方 (2010年)

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泪橋交差点から南側の吉野通りに沿って、ビルタイプの簡易宿泊所が何軒も並ぶ光景が見られる。大規模なドヤ街である山谷においても、大通りに面した場所はバックパッカー向けの宿がちらほら目立ち始めている。

吉野通りに面して建つ「ホテルアクセラ」は2007年開業。外観は完全に小奇麗な新築マンションである。最近になって増え始めた小奇麗な簡易宿泊所は1泊3千円以上もするため、もはやドヤと呼ぶのも躊躇われる。実際に労働者よりもバックパッカーの利用が多い、ドヤ街・山谷のハイエンドモデルである。

だが吉野通り沿いの簡易宿泊所を見てもその多くが旅行者を寄せ付ける雰囲気が全くしない、くすんだ雑居ビル然とした建物ばかりで、さすがドヤ街とうなずきたくなる。

山谷の簡易宿泊所は現在約160軒あると言われ、その殆どが一泊2千円台で宿泊可能な宿ばかりだ。古ければ古い程、客層の労働者比率は高まる。そのへんは西成釜ヶ崎と大差ない。

よりどりみどりでドヤあれど、吉野通り沿いで最強なのが「パレスハウス」。名前だけ豪華だが外観のオンボロ具合は他の追随を許さない。4階建てのビルとなっているが内部は細かく区切られているようで、外から見えるすりガラスの窓からはベニヤ板で一部が塞がれているのが分かる。

「パレスハウス」の建物横側を見る。各フロアの窓が上下二つに分かれていて(部屋もどうやら上下に分かれているのだろうか)、しかも全ての部屋の窓に刑務所を思わせる金網が取り付けられているのだ。これで火事でもあったら一巻の終わりだなと思う訳だがこのパレスハウスが山谷のドヤ最安値で、大部屋一泊千円というのだから驚きだ。

ちなみに「女性のご利用お断り」らしいです。見るからに建物も老朽化していて、どうやらすぐ隣に新館を建てている最中のようだ。

簡易宿泊所が並ぶ吉野通り、山谷で暮らす労働者のオッサンの家財道具を守る為の貸切ロッカー屋も充実。こうした貸切ロッカーは1日300円といった日払い制ではなく、ひと月3000円などで月極制になっている場所が多い。ドヤ暮らしや路上生活では盗難のリスクは避けられない。貸切ロッカーは山谷暮らしの必需品なのだ。

さらにもう一軒、吉野通りから玉姫公園寄りの路地の入口に労働者のオッサン達が常日頃からたむろしている居酒屋がある。

いつ来ても暇そうに酒を飲んでは好き好きに食っちゃべる客の姿がある。物見遊山で訪れる旅行者はともかく食べログやぐるなび等のグルメサイトには永遠に載る事はないであろう、完全なる山谷人達の酒場である。

この酒場の2階は選挙シーズンになるとなかなか香ばしい光景が拝めるのだ。窓の外には大量の張り紙。それも男前の志位委員長が映る日本共産党のポスターとともに。

酒場の2階の窓から、日本共産党を心の底から応援するエールの数々が送られている。「誠実政党」「情熱の男」「不動政策」「真実一路ガンバレGOGOイケイケ」等と書かれた文言に思わず笑ってしまった。

…まあ今の日和見売国政権よりは不動だよねある意味。

酒場の側には昼間っから飲みすぎてブッ倒れるアル中のオッサン。これが山谷の日常でございます。

昔から刑場や遊郭といった忌み嫌われる物件を押し付けられてきたこの一帯、福祉施設なり何かを建設しようとするとこうして反対運動が巻き起こったりと色々ナーバスになっているようだ。

見かけたのは「きぼうのいえ」のホスピス建設に反対するのぼり。山谷エリアで末期癌など余命幾ばくかの行路病者を受け入れる施設である。

「元廿世紀浴場跡地に末期患者収容施設」などと物騒な文言が並ぶが、この廿世紀浴場はいろは会商店街近くにあったアールデコ風のレトロ銭湯で惜しまれつつも2007年に廃業したものだ。

吉野通り沿いに建つ4階建ての通称「マンモス交番」こと浅草警察署日本堤交番。

もとは山谷地区交番と呼ばれていたが、ここも「山谷」の地名を封印するかのごとく改名。

1960年に開設されて以降、度重なる暴動の鎮圧、警官刺殺事件、交番の焼き討ちといった出来事に見舞われながらも現在も山谷地域のパトロールを引き受ける。やはり普通の交番にしては規模も人員もケタ外れに多い。

寄せ場である山谷の街は昔から極左集団の煽動で暴動が度々起こり、また暴力団の活動の温床にもなっていた。今では殺風景な老人の街になってしまってはいるが…

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